スーチー氏顧問の命を救ったミャンマー元警察官が語る民主化への思い。クーデターに抵抗し、日本で難民認定
――チョーサンハンさんはミャンマーでは警察官でありながら、市民の弾圧への加担を拒否し続けたようですね。 2021年2月1日、軍がクーデターを起こした日は、最大都市ヤンゴンのインセイン地区で幹部警察官になるための半年間の訓練を受けている最中でした。その後、同年3月から8月まで、首都のネピドーおよびその周辺で警備チームのリーダーを務め、デモ参加者を逮捕する任務を与えられました。 しかしながら、私たちのチームは実弾を一発も発射せず、一人も逮捕しませんでした。部下には銃に実弾を込めないように指示しました。
――発砲させず、一人も逮捕せずということで、問題になりはしませんでしたか。 私が指揮したチームは総勢10~15人。逮捕も射殺もしなかったことで、精神的に救われた部下もいたかもしれません。他方で、私のことを「警官を装った民主主義者ではないか」と疑う部下はいました。 そうした人物はビルマ語で「ペイヤディー」(スイカ)だと言われます。外側は緑(=軍の色)でも、中は赤い(=民主派)と。私はスイカだと疑われました。
しかし、問題となりそうな写真はスマートフォンからすべて削除していて、証拠を見つけられることはありませんでした。 2021年8月頃になると市民によるデモも見られなくなり、セキュリティチームの任務自体がなくなりました。 ■国軍司令官が不快感を示した理由 ――クーデターの直後、民主派の最高指導者アウンサンスーチー氏の上級顧問を務めたオーストラリア人経済学者ショーン・ターネル氏の尋問の際に、チョーサンハンさんは英語の通訳を務めました。
私はオーストラリアに留学した経験があり、英語で意思疎通ができるということから、クーデター直後に拘束されたターネル氏の通訳を命じられました。先ほど申し上げた、セキュリティチームのリーダーを命じられる前のことです。 私は尋問に際して通訳を務めるとともに、尋問内容に関する報告書の作成にも関与しました。その報告書は、最終的にミンアウンフライン軍司令官に届けられました。しかし、その報告書の内容について、司令官や警察の長が不満を抱いたことから、ターネル氏を擁護したとみなされた私は通訳を交代させられてしまいました。