「私が十代の頃、初めてかっこいいなと思った舞が父・万作の『三番叟(さんばそう)』なんです」(撮影:岡本隆史)(婦人公論.jp)
野村萬斎「十代の頃、父・万作の『三番叟』の舞をカッコいいと思った。ロックへの思いと同じく、自分の中の躍動感が狂言とも呼応すると気付いて」
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