松木謙治郎コーチと運命の出会い 徹底した右手強化「歯ブラシが持てなかった」 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<11>
伊東キャンプでは1カ月間、右手一本で毎日600本くらい打ってました。松木さんが膝をついてトスをする。私はネットに向かって打つ。今ではどの球団もやってますが、ネットに打つスタイルは松木さんが私のために発明したんです。毎日毎日、普通の練習が終わってから松木さんとマンツーマンです。右脇の下が痛くて、歯ブラシが持てなかった。歯が磨けない。
今の時代なら休みますよ。どこかに痛みがあると大事をとってすぐ休む。あのころは「痛い? お前が弱いから痛いんだ」と怒鳴られた。それでもやって崩れなかった。痛みも消えていった。松木さんには「お前の長打力は魅力だけど、左打者だし足が速い。それは武器になる」ともね。私の打法は〝広角打法〟〝安打製造機〟などと称されましたが、すべては松木さんとの出会いが原点です。
《松木さんは阪神の主軸として戦前の12年春、首位打者、本塁打王。阪神、大映、東映の監督を務め、53年に野球殿堂入り》
あの人は上手なんですよ、コーチとして。監督としてはちょっとでしたけどね(笑)。頑固だし、一徹だし、熱心でした。いままで何十人に聞いたけど、一番だね、バッティング理論は…。もし松木さんに出会わなかったら、私はダメだったでしょうね。これも運命ですね。(聞き手 清水満)
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