40年前から大流出 世界で最も迫害された“民族”ロヒンギャなぜ解決しない?
周辺国も難民としての受け入れを拒否。人身売買が問題化
このように過去にもロヒンギャの大量難民は問題化していたのですが、そもそもなぜロヒンギャは排斥されてきたのでしょうか。 一説にはロヒンギャは8世紀ごろにアラカン地方に海を越えてやってきたアラブ商人が定住したといわれています。さかのぼると50年、ビルマのウー・ヌ初代首相に宛ての手紙に「ロヒンギャ」の言葉が確認されていて、このころから自らをロヒンギャと名乗るようになったのではとみられていますが、その名前の由来を含め、民族の定義は定かではありません。政府は、ロヒンギャという言葉も用いずに、バングラデシュからの不法移民である「ベンガル人」と呼んで、ロヒンギャの存在を認めてきませんでした。 ロヒンギャを排除するのは周辺国も同様で、ベンガル人の国バングラデシュも自国民と認めず、タイなども不法移民として入国を罰しています。特に92年に難民が大挙したバングラデシュは、その後、国境警備を厳しくしたため、やむなく、ロヒンギャはインドやタイ、インドネシア、マレーシアへ密入国を図るようになりました。 そして近年、各国は密入国に介在した人身売買組織の取締りを強化するようになり、その結果、海上からミャンマーの脱出を試みたものの、上陸できず、ボートピープルとなったロヒンギャたちが急増。命を落とすようなケースが相次ぎ、受け入れを拒んだ周辺国も国際社会から厳しい批判にさらされるようになりました。 また世界がこの問題に注目するようになった大きな理由として、2015年スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が総選挙で勝利したということがあります。軍事独裁政権に抵抗する非暴力闘争を率いて、91年にはノーベル平和賞を受賞したスー・チー氏が、実質的な国のリーダーとなったことは、前政権で参政権を奪われたロヒンギャの人たちからも歓迎されました。 しかしその後も、ロヒンギャ問題改善に向けた動きはなく、2016年10月「アラカンロヒンギャ救世軍」(ARSA)を自称する武装集団がミャンマー軍を襲撃したことがきっかけとなり、軍は掃討作戦を実施。三たび、数十万とみられる大量難民がバングラデシュに逃げ出したことで、スー・チー氏には欧米各国やイスラム教指導者を中心に強い失望と非難の声が向けられました。