キリストの遺骨とイエス一族の墓、骨棺に刻まれた名が語る「真実」とは
エルサレム南部。アパートが立ち並ぶ、閑静な住宅街の奥深くで発見された遺跡。ノースカロライナ大学シャーロット校の教授で、キリスト教の起源と古代ユダヤ教を研究する著名な学者で歴史家であるジェームズ・テイバー博士は、これを「イエス一族の墓」と思われると発表した。 【写真】エルサレムの東タルピオット地区で新しい集合住宅を建設するためダイナマイトを爆発させたところ、墓の入り口らしきものが露出してしまったのだ。墓の外側の中庭部分は残念ながら爆発で破壊されたものの、岩を削って作られたシェブロン、丸いシンボル、長方形の口を持つ外観を特徴とする内側の入り口は残った。 以降、数々の論争が起き──。 キリスト磔刑の本当の場所は? 学会に衝撃、ある考古学者の提言 に続き、テイバー博士の「発見」とその後の論争について見ていこう。 ■墓、初期の信者、そしてイエスの家族? 旧市街から南へ3キロも離れていないエルサレムの東タルピオット(アルモン・ハ・ネツィブ)地区で発見された2つの墓の調査は、考古学会のみならず広く世間の注目を集め、論争を呼んだ。 2つの墓は一般には「イエス一族の墓」あるいは「庭の墓」、「パティオの墓」として知られている。テイバーと同僚たちは、これらの墓の発見は、これまで発見された中でももっとも貴重な考古学的証拠であると主張している。大々的に公表された「ヤコブの骨棺」とともに、イエスとその家族、そして後に「キリスト教徒」として知られることになるイエスの初期の信者にきわめて直接的に関係する証拠であるため、というのがその理由だ。 エルサレムのような都市では、考古学者による調査でも発見されないような歴史的な宝物が、建設工事によって「うっかり」発見されることがよくある。1980年、まさにそれが起こった。 エルサレムの東タルピオット地区で新しい集合住宅を建設するためダイナマイトを爆発させたところ、墓の入り口らしきものが露出してしまったのだ。墓の外側の中庭部分は残念ながら爆発で破壊されたものの、岩を削って作られたシェブロン、丸いシンボル、長方形の口を持つ外観を特徴とする内側の入り口は残った。 法律で義務づけられているように、イスラエル考古局の考古学者たちは、迅速な引き揚げ作業と、墓の調査のために招集された。そして1980年3月28日、地方考古学者であるアモス・クロネルの監督の下、考古学者ジョセフ・ガトとエリオット・ブラウンを含むチームと3、4人の発掘者によって発掘が開始された。 最初の発掘調査では、発見された6つのコヒムのうち5つに骨棺があり、6フィートの長さの2つの棚あるいはアルコソリア(1年後に骨を集めて骨棺に保管する前に、腐敗させるために死体を並べるのに使われた)があること、そして棚の上には骨片があり、棚の下の古代の床には頭蓋骨を含む他の骨格標本があることがわかった。墓の中には10個の骨棺があった。 この墓の納骨棺には、イエス自身を含む、イエスに関連する名前が刻まれていたという報告がメディアの注目を集め、発見に関する報告書が1996年にまとめられることになった。しかし、この時までに多くの情報は失われており、墓の中の骨はおそらく正教会の宗教当局に引き渡されたか、無記名の共同墓地に改葬されるかしていた。 ところが、メディアがこの墓について最も大きく取り上げたのは、2004年に、映画監督で調査ジャーナリストのシンハ・ヤコボビッチが、テイバーを学術顧問として迎えて結成したチームによる再調査が始まってからだった。この調査は「タイタニック」のジェームズ・キャメロンが全面参画したことでも大きな話題となり、『キリストの棺―世界を震撼させた新発見の全貌』(シンハ・ヤコボビッチ、チャールズ・ペルグリーノ共著、沢田博訳、イースト・プレス刊)という書籍にもなった。 この墓については、まだいくつかの未解決の疑問が残っていた。その中でも特に重要だったのは、墓とその中身が、歴史上のイエスとその家族に関連付けられるかどうかという疑問だった。Yeshua bar Yehosef (ヨセフの子イエス)、Maria(マリア)、Mariamene Mara(古代の資料からマグダラのマリアの別名と解釈される)、Yosef (ヨセフ─イエスの兄弟)、Yehuda bar Yeshua(イエスの子ユダ)である。 このことは、これらの発見物がイエスとその家族につながっているという直接的な証拠なのだろうか? そしてイエスの遺体が最初の仮の墓の後、二番目の永久的な墓に実際に安置されたという証拠になり得るのだろうか? さらに、イエスが結婚し、「ユダ」という名の子どももうけたかもしれないという証拠を提供するのだろうか? 言うまでもなく多くの学者や教会の権威者たちが、これらの見解について激しく異議を唱えてきた。彼らは、こうした発見物が「福音書のイエスと無関係である」理由をいくつも提示してきた。 その理由の1つは、骨棺に刻まれた名前は、紀元1世紀のエルサレム地域に住んでいた人々の一般的な名前であったというものである。実際、名前を個別に検討すると、明らかにその説明に合致するものもあった(紀元1世紀の人口に関する既知のデータを使い、統計分析研究を適用すると、例えば「マリア」という名は、その時代のこの地域で知られている女性の名前のほぼ22パーセントを占めている)。 しかし、テイバーをはじめとする何人かの学者によれば、より説得力のある分析は、1つの場所におけるユニークな名前の「組み合わせ」にこそあるという。統計的に分析すると、墓とその中身が福音書に記されているイエスとその家族のものである確率はかなり高くなる。他の2つの大きな発見があれば、可能性はさらに高まるのだ。 ■1万2000ページの証言、475ページの評決 2002年10月21日、ディスカバリー・チャンネルと聖書考古学協会が共催したワシントンでの記者会見で、2000年前の骨棺の存在が発表された。骨棺の碑文にはアラム語で「Ya'akov bar-Yosef akhui diYeshua」と書かれており、英語で「イエスの兄弟、ヨセフの子ヤコブ」と訳されていた。 これが本当に福音書に登場するヤコブ、つまりイエスの弟であり、イエスの死後エルサレムで初期キリスト教運動の指導者であったヤコブの骨棺だと仮定すると──。この発表は実に世界中に反響を呼び、パンドラの箱を開けるがごとく、一連の出来事を連鎖的に引き起こしたのだ。 しかしこの骨棺は、管理された考古学的調査ではなく骨董品市場から出現したものだった。2003年にイスラエル考古局が行った一連の調査によって、「ジェイムズの骨棺」は贋作であると断定された。この箱の収集家であり所有者であったオデッド・ゴランは、44件の偽造、詐欺、欺瞞の罪で起訴された。 しかし、7年にわたる120回にも及ぶ裁判の結果、裁判官は126人の証人と数十人の専門家の意見を聞き、1万2000ページにも及ぶ証言を作成し、最終的に475ページに及ぶ評決を下した。 今日、「ヤコブの骨棺」そのものが本物でないと主張する者はほとんどいないが、碑文、特に「イエスの兄弟」の部分の真偽については、いまだに学者たちの議論の的となっている。しかし、多くの学者/科学者が、碑文の彫刻の中に本物の古代のパティナ(対象物が古くなるにつれて、物質の表面に形成される薄い生物化学的な層)が発見されたという観察を支持しており、少なくとも年代については碑文の行全体が本物であることを示している。 ■「庭園の墓」との関連は? では、これが庭園の墓とどう関係があるのだろうか? 「大いに関係がある」とテイバーは言う。テイバーは例として、ジェームズの納骨棺が実際にこの墓から出土したものであると結論づけた、2006年の研究をあげた。この研究は最近発表され、大きな話題をよんだものである。イスラエル地質学会のアムノン・ローゼンフェルド率いる科学者チームによって研究が行われた。入念な検査の結果、骨棺に刻まれた文字の内側に見られる古代のパティナは確かに本物であり、碑文の信憑性を裏付けるものであると判明したのだ。 その研究の中で科学チームは、庭園の墓を含む、他の14の埋葬洞窟の納骨棺と洞窟内部の表面に付着したパティナの化学組成についての比較試験と評価分析も行った。「試験は、骨棺は過去2000年間存在していた洞窟の環境に基づいて、特徴的で測定可能な生化学的『サイン』を蓄積するという前提に基づいていた」とテイバーは述べる。互いに近接した2つの洞窟でさえ、異なる化学的特徴を示すであろう。しかし、ヤコブの骨棺は、庭園の墓の壁や天井の化学的特徴も含めて、庭園の墓で調査された骨棺とまったく同じ化学的特徴を持っていたのだ。テイバーによると、これとは対照的に、ジェイムズの骨棺の化学組成は、他の13の墳墓の骨棺とはかなり異なっていたという。 テイバーと研究者らによれば、ヤコブの骨棺はもともと庭園の墓にあったものだという。 いつ、どのようにして墓から分離されたのかは謎のままである。しかし、イエスの墓の他の納骨棺と比較して、納骨棺の表面の風化を調べたところ、おそらく古代に略奪されたのであろうが、少なくとも200年間は墓から失われていたことが示唆された。 このように、テイバー(この主張はテイバー一人によるものではない)によれば、ヤコブの骨棺を庭園の墓の遺物と名前の環に加えることで、この墓がイエスとその家族である可能性が統計的にほぼ確実なものになる。 このことは、この墓が実際にイエスとその家族の墓であることを証明しているのだろうか? テイバーはこの墓について次のように語っている。「私たちは、統計だけがタルピオットの墓がイエスの墓であることを一方的に証明するとは考えていません。しかし、統計的には、よく言われている、エルサレムにある多くの墓はイエスという名前を持つ可能性が高い、という主張が誤りであることがわかります」。 しかし、この話にはまだ続きがある......。 本稿は「Popular Archaeology」で発表された、Dan McLerranによる「The Jesus Family Tomb」の翻訳である(画像提供:Jeff Jacobs, Pixabay)。
Forbes JAPAN 編集部