「本人もそれを希望するはず」終末期の母を「死なさずにすんだ」息子の冷静判断 「最期は家」を叶える前に考えたい治療の可能性
終末期の緩和ケアについては、“病院と自宅で特に差がない”ことはこれまでも何度かお伝えしてきましたが、こうした急性期の病気は、検査や治療が迅速に行える病院で治療を受けたほうがよく、そのようにお勧めする場合もあります。 筆者は息子さんに「Aさんの胆管炎は、治療によって改善の見込みがあること」「治療を望むなら、病院に戻ったほうがいいこと」「胆管炎の治療は、延命治療には当たらないこと」などを説明しました。
延命治療とは、回復の見込みがなく死期の迫った患者さんに、点滴や胃ろうなどを用いて生命を維持させる医療処置を指します。心臓マッサージや人工呼吸などによる心肺蘇生も含まれます。 延命治療は、あくまで「回復の見込みがない」場合が対象となりますが、感染症の治療は「回復の見込みがある」もの。一口に治療といえど、そのスタンスは大きく変わるのです。延命治療中、緩和ケア中であっても、病気の内容によっては、治療で改善するケースもあることを忘れないでほしいと思います。
さて、「延命治療をしてはいけない」「最期は家で過ごさないと」という気持ちが強かった息子さんですが、これらの話を踏まえて、「治療によってよくなるかもしれないなら、本人もそれを希望するはず」と納得し、病院に再入院することになりました。 結果的に感染症は抗菌薬の投与によって治り、Aさんは再入院から1週間後には、抗がん剤治療が再開できる状態にまで回復したのです。 「最期はこう過ごしたい」という希望を持ち、それを周囲に伝えるのは、とても大切なことです。
しかし、ときにそうした希望が独り歩きしてしまうと、希望が優先されるあまり、本来はできるはずの治療やケアがなおざりになってしまうケースがあります。 Aさんの例でいえば、自宅で大好きなペットと余生を過ごすことを優先して感染症の治療を受けなければ、“本人が患っているがん”ではなく、“全然違う感染症で亡くなってしまう”ことも十分に考えられました。 末期がんでも、感染症なら治せるかもしれません。終末期でも、具合が悪くなっている原因がもとの病気の悪化ではない場合、適切な治療によって一時的に小康状態を取り戻せることもあるのです。