自転車店の広告塔として70年 店先で今も人目引く「幻の自転車オートバイ」 館山(千葉県)
「幻の自転車オートバイ」。館山市宮城の太田自転車店の店先に、こんな手書きの大きな文字が躍る張り紙とともに、古びた二輪車が「展示」されている。店の広告塔として間もなく70年。今も、車で通りかかる観光客らの目を引いている。 店を営む太田茂さん(91)が1955年ごろ、市内の自転車問屋が店をたたむ際、業務で使っていたものを安く譲ってもらった。 自転車に排気量50ccとみられるエンジンを搭載。後輪にローラーを圧着させ、タイヤが回転するとローラーも回って連動したエンジンがかかる仕組み。ハンドルとサドルの間のフレームに小さな燃料タンクが取り付けてある。ハンドルには時速60キロまでの速度計もある。
自宅で「名古屋郷土二輪館」を運営する愛知県の冨成一也さん(72)によると、市販の自転車にエンジンを後付けした乗り物。「自転車バイク」とも呼ばれた。エンジンと駆動部、ケーブルなどが木箱入りでセットで売られた。運転免許証はいらず警察の許可証があれば公道を走れた。自転車を簡単にバイクのように改造できるため、50年代前半に登場すると爆発的にヒット。一時はメーカーが関東、東海、関西を中心に300社ほども乱立した。馬力はないが通勤や近場の移動などに重宝された。ガソリン20~25に対してオイルを1程度の比率で混合した燃料が使われた。ガソリンだけだと燃焼力が強くてエンジンが傷むためという。ただ、安定性に欠け、排ガスのすすで服が汚れるなどの欠点もあった。50年代後半に性能が良い大手メーカーの二輪車が出回ると、あっという間に姿を消したという。 太田さんも、しばらくは客の自宅への訪問修理、問屋への行き来、買い物などで自転車オートバイを使った。ただ、出先でエンジンがかからなくなることもしばしばだった。58年にホンダがスーパーカブを売り出すと、太田さんもほどなくして購入。自転車オートバイに乗ることはなくなった。 それでも、「人生の記念に」と手放さず、店先に出すようになった。 今は全体にさびつき、タイヤも劣化して、走行はできない。毎月3回の店休日以外、毎朝6時半には幹線道路沿いの人目につく定位置に出す。午後6時半の閉店時に店内にしまい、シャッターを閉める。 時折、車で通りかかった人が興味を持って訪ねてくる。機械好きな人だと話の花が咲くことも。「昔はこういうのに乗っていた」と懐かしむ人もいるという。 3、4年前、「珍しいものがあるね」と男性が声を掛けてきた。車で東京に帰る途中の観光客。通り過ぎる一瞬、目にして引き返してきたという。 話しているうちに、「10万円で売ってくれ」。だが、頑として断った。「売るつもりはない。売っちゃったら記念にならない。記念は金で買えないから」。 太田さんは、店の中の巣にツバメが飛来した日などの記録を20年間取り続け、大事に見守っている。自転車オートバイもツバメと同じ。これからも手元で大切にしていこうと心に決めている。