戦後日本で「地政学」が怪しい危険思想としてタブー視されたワケ
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戦後の地政学のタブー視とドイツ思想受容の伝統
第二次世界大戦が終結すると、ドイツではハウスホーファーが戦争犯罪人としての嫌疑をかけられた。 日本においても、ハウスホーファーの地政学理論を参照しながら大東亜共栄圏を推進していた人々は、戦争犯罪人としての嫌疑をかけられた。 アメリカが主導するGHQが、大陸系地政学を、日本の対外的拡張主義の理論的基盤となった危険な思想と見なしていたことは間違いない。 日本人の間でも、ハウスホーファーの系統の地政学の受容が、対外的な拡張主義を正当化する軍国主義と結びついていたことを反省する議論が起こった。 そのため戦後の日本では、ハウスホーファーとともに広がっていたゲオポリティークとしての地政学をタブー視する傾向が生まれた。 これは拡張主義の基盤となった大陸系地政学に関してのみ該当する歴史的事実である。GHQがマッキンダー理論を警戒した経緯はない。 ただそもそも戦前の日本において、地政学といえば、ハウスホーファーに代表されるゲオポリティークのことであった。 そのため、戦後の日本では、地政学と名のつくもの全てが、怪しい危険思想としてタブー視されるようになった。 実際の戦後日本の外交安全保障政策は、スパイクマン地政学理論によって補強されたアメリカとの間の安全保障条約を基盤とするものに刷新された。大陸系地政学を嫌い、英米系地政学によって理論的基盤を再構築する動きだったと言ってよい。 しかし地政学はタブーだという風潮が広まると、逆に語られていない地政学の理論に基づいた外交安全保障政策が、秘密の理論への信奉に基づくものであるかのように見えることになった。 この地政学と戦後日本の外交安全保障政策をめぐる微妙な関係は、憲法学者らを中心とする知識人層の間における根深いアメリカへの不信感によって、さらに複雑な様相を呈することになる。 憲法9条を根拠として主張された非武装中立主義の傾向すら持つ平和主義が「表の国体」である「顕教」で、日米安全保障条約に代表される外交安全保障政策が「裏の国体」である「密教」であると語られるようになった。 その際、本来であれば日本の外交安全保障政策の理論的基盤と言ってもいい英米系地政学の理論ですら、「密教」として、表では語られない教義であるかのようにみなされることになった。 もともと日本の学界では、アメリカの思想の伝統に対する研究関心は薄弱であった。代わりにヨーロッパの影響が根強く、特に憲法学のような法学においては、ドイツ思想の影響が顕著であった。 そのような学問分野では、国家有機体説に代表される大陸系地政学の思想的伝統が強く、反米主義的なイデオロギー的傾向も顕著になりがちだった。 そのため、実務における密教としての「裏の国体」と、学界における顕教としての「表の国体」が、矛盾を抱え込みながら、併存していく状況が、長く続いたのであった。
篠田 英朗(東京外国語大学教授)