西田敏行が震えあがる二大名優の共演。そして「大霊界」への誘い
---------- 『日本沈没』『砂の器』『八甲田山』『人間革命』など大作映画に主役級として次々出演し、出演者リストの最後に名前が登場する「留めのスター」と言われた、大俳優・丹波哲郎。 そんな丹波が、「霊界の宣伝マン」を自称し、中年期以降、霊界研究に入れ込み、ついに『大霊界』という映画を制作するほど「死後の世界」に没頭した。なぜそれほど霊界と死後の世界に夢中になったのか。 数々の名作ノンフィクションを発表してきた筆者が、5年以上に及ぶ取材をかけてその秘密に挑む。丹波哲郎が抱えた、誰にも言えない「闇」とはなんだったのか――『丹波哲郎 見事な生涯』より連載形式で一部をご紹介。 西田敏行が語る、丹波哲郎。その見事な生涯 前編記事<西田敏行が語る、丹波哲郎。その見事な生涯> ----------
二人の名優
『天国の駅』での初対面から18年後、西田は人気シリーズの『釣りバカ日誌』を牽引する主演俳優として、再び丹波と同じカメラの前に立った。かたわらには、長くコンビを組んできた名優・三國連太郎がいる。 西田には夢のような“ツー・ショット”だった。少年時代に観た最も衝撃的な映画こそ、壮年期の丹波と三國が白黒の画面で強烈な存在感を放った、小林正樹監督の『切腹』だったからだ。 映画は、武家社会の悲劇を描いていた。貧しさゆえ“武士の魂”たる刀を売り払い、竹光を腰に差していた若侍が、度重なる不運のあげく、竹光での切腹に追い込まれる。介錯人の役が丹波、それを高座から見下ろす家老の役が三國である。 故郷・福島の映画館の客席で目を凝らしていた中学生の西田は、思わず震えあがった。 竹光を腹に突き刺したまま、真横に切れずに苦しみ抜く若侍に向かって、丹波が大声で、「存分に引き回されい!」と叱咤する。なんと血の凍るような言葉を吐く人か。若侍の無惨な最期を見届ける三國も、なんたる冷酷さだろう。 丹波と三國が情を押し殺す様には、武士としての胸に秘めた思いもうかがえる。ふたりの陰影の濃い演技が、西田には恐ろしくも忘れがたかった。 同い年の丹波と三國は、いまや79歳になり、『釣りバカ』撮影の昼休みに、仕出し弁当を仲良く割り箸でつついている。 「なあ、連ちゃん」 丹波はなにやら楽しそうだ。 「オレが愛犬協会の会長やってるの、知ってるだろ?」 「いやぁ、知らなかったねぇ」 「うちの犬が、こないだ死んじゃってさぁ」 「ああ、そう」 「尻尾を振ると孫が吹っ飛ぶくらい、子牛みたいにデッカい犬なんだ」 「ああ、そう」 「火葬に出そうとして、横に寝かして棺に入れようとしたんだけど、デカすぎて入らねぇんだよ。だからまっぷたつに切って、2回に分けて火葬したんだ」 「う~ん」(と、のけぞって目をつぶる) 西田は、内心おかしくてしかたがなかった。 いぶし銀の大物俳優たちだけが醸し出せる、何とも不思議な空間が成立している。眼前で自分のためだけの映画が上映されているような気分になり、西田はふたりのやりとりに聞き入った。 撮影当日、噂どおり丹波はセリフを覚えてこなかった。 「じゃあ、書いちゃおう」 ぶつぶつ言いながら、台本のセリフを大きめの字で“カンペ”に書き写し、それを西田の胸にぺたぺたと貼り付けて、リハーサルも本番も難なく終えてしまった。西田は、目を見開かされる思いがした。 「なるほど、こうやって相手の役者の所作や受け答えを見ながら、相手の要素を引き出していくんだな。覚えてきたセリフを“立て板に水”に言い切っちゃうより、このほうが相手に働きかけられるし、会話が自然に流れる」 じきじきにアドバイスも受けた。 「セリフは言うもんじゃないんだ。食べ物と考えて、食べちゃえばいい。食べてゲップのように出せばいいんだよ」 この言葉を、西田は金言のごとく、西島秀俊ら後輩の俳優たちに伝えている。