若林恵と畑中章宏が『忘れられた日本人』をひらく 宮本常一と「世間」のデモクラシー
黒鳥社の約1年半ぶりの新刊は、宮本常一の名著『忘れられた日本人』に描かれた愛すべき日本人の姿から「民主主義の日本的起源」をさがす、寄り道だらけの対話篇。 【写真】黒鳥社の約1年半ぶりの新刊登場 黒鳥社は、民俗学者・畑中章宏と若林恵の共著『『忘れられた日本人』をひらく 宮本常一と「世間」のデモクラシー』を2023年12月5日(火)に刊行した。 不世出の民俗学者・宮本常一の主著のひとつであり、今なお愛され読み継がれる『忘れられた日本人』。そこに描かれた日本人の姿を、ノスタルジアや復古主義に陥ることなく、グローバリズムとナショナリズムとが錯綜する21世紀の世界のなかにいかに価値づけ、その可能性をひらくことができるのか。 デヴィッド・グレーバーや鶴見俊輔、ジョン・デューイなどを補助線にしながら『忘れられた日本人』を読み解き、「民主主義の日本的起源」を探る。 ■『忘れられた日本人』をひらく 本文より一部抜粋 「デモクラティックな空間」のオルタナティブなモデルがいったいどういう条件のもとで成立するのかを検討する上で、『忘れられた日本人』で宮本常一が着目したのは、まずは「寄合」という合議システムでした── p.38 年寄りたちの言葉を通して宮本がここで言わんとしていることのひとつは、まずもって合議は「論破」ではないということです。誰かが強い主張をして誰かがいたたまれない思いをするようなことは、それこそ「コミュニティの破壊」につながりかねない── p.45 「世間」というものの最大の特徴は、それが複数同時に存在するということです。さらにいうと、個々の人は、ひとつの「世間」のなかにしか存在できないわけではなく、折り重なった複数の「世間」のなかに同時に生きています── p.102 旅というものが、共同体のなかに新しい体験や情報をもたらす回路となっていたことで、閉鎖し内向してしまいがちな「世間」をひらいていくものとして価値化されていた。このようなメカニズムをもつことで「世間」は、絶えず新陳代謝を繰り返してきました── p.107 宮本常一は、 目的としての民主主義というものよりも、どちらかというと「手段としての民主主義」あるいは「方法としての民主主義」という点に関心があったのではないかと思ったりします── p.165 村の寄合で蛇行しながら進んでいく対話のありようを、本のなかで再現しようという意図を感じました。実際『忘れられた日本人』の読み味は、まるで、どこの空間ともわからない、いつの時代かもさだかではない架空の村を、覗き見ているような気分なんですよね── p.181 また、本書は、2023年5月に講談社現代新書より刊行された『宮本常一:歴史は庶民がつくる』(畑中章宏・著 )と 同10月に中公新書より刊行された『実験の民主主義:トクヴィルの思想からデジタル、ファンダムへ』(宇野重規・著+若林恵・聞き手)をつなぐ副読本として構想され、畑中章宏さんと若林恵の5時間にわたる対話をもとに制作された。3冊合わせてチェックしてみよう。
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