与謝野晶子の未発表歌 兼六園、片山津、白山詠む 旧制四高教授の遺品、金大に寄贈
●昭和6、8年に県内旅行 色紙、扇子に記す 歌人の与謝野晶子が石川で詠んだ未発表歌を記した色紙など3点が28日までに見つかり、金大に寄贈されることになった。兼六園、片山津、白山を題材にした短歌で、晶子が夫鉄幹と共に昭和6年、8年に県内を訪れた際にしたためたとみられる。旧制四高漢学教授だった駒井徳太郎氏旧蔵の品で、29日から金大図書館で展示する。 ●29日から展示 史料は駒井教授の孫知夫さん(都内)が、遺品の中から見つけた。 色紙に書かれた兼六園の短歌は「昔居ぬ 石と水との ちぎりをば ふかくいみじく わきまへし人」。庭園の石と曲水の風景から、昔の男女のちぎりを匂わせる愛の歌となる。片山津の歌は「風おこり うす紫の 波うごく 春の夕の 片山津かな」と、春の景色を写生する。 晶子を研究する与謝野晶子俱楽部(くらぶ)(堺市)によると、色紙の2首はいずれも歌集未収録歌で、晶子・鉄幹夫婦が1931(昭和6)年1月に北陸路を旅した折に書かれた。 白山の歌は年代未詳。扇子に書かれ「白やまを 相てらしつつ 五十とせを かさねたりけり(れ) かえりみすれば」と、白山に我が身を照らし、50年を振り返る。 いずれも県内を訪れた与謝野夫妻をもてなし、歌会を開いた駒井教授に贈られた品とみられる。漢学を教えた駒井教授に和歌のたしなみがあったことを示しており、金大グローバル文化・社会研究センター長の杉山欣也教授は「石川の歌壇の様相が見える貴重な史料」と話す。 与謝野夫妻の動向は当時の北國新聞に詳しく記された。戦争や昭和恐慌で社会情勢が混沌とする中、夫妻の活動を伝える記事に紙面が大きく割かれ、調査した大学院生の小林鮎美さんは「当時から石川が文芸に高い関心があったことが伝わる」と語った。 このほか、夫妻が昭和8年の県内旅行時に記した短冊や、「荒城の月」の作詞で知られる詩人土井晩翠の色紙、駒井氏自作の漢詩の扇子など80点以上が金大に寄贈される。 31日午後1時から金大で開催される同センター主催のシンポジウム「災害と社会:能登半島地震から考える」で、史料の受贈式を行う。輪島市の塗師、赤木明登さんが講演する。