アメリカは「制度のアップデート」が必要だ――ハーバード大学の有名教授に踏み込んだ発言をさせる危機感
「怒れる白人」に頼る共和党
本書は、このような認識の上に立ち、民主主義を損なう行動を取っているとして、かなり厳しく共和党を批判する。人種を超えた支持を獲得しようとせずに、「怒れる白人」の愛国心に頼る共和党は、妥協を拒んで急進化し、民主主義を攻撃する準備を整えていく。そして、国会議事堂襲撃事件の前後の対応を見ると、共和党の政治家たちは、ごく一部を除いて、政治家が民主主義者として取るべき3つの行動、すなわち、勝敗に関係なく公正な選挙の結果を尊重すること、政治的な目標を達成する手段としての暴力を拒絶すること、そして反民主主義的な勢力との関係をつねに断ち切ること、これらを誠実に果たしていないというのである。 本書のテーマである「少数派の横暴」とは、「怒れる白人」のみに頼り、相対的には少数派の支持しか受けていないにもかかわらず、なぜ共和党がアメリカ政治に大きな影響を与えることができるかを論じるものだ。そして、その問いに対する答えに、アメリカの憲法制度の中に、過剰なまでに反多数決主義的制度が組み込まれていることを挙げる。ここでいう反多数決主義的制度とは、憲法に書かれている市民的自由を定めた権利章典から、最高裁判所、連邦制、二院制議会、フィリバスター(議事妨害)や選挙人団に至る、多数派の決定が及ばない、あるいは多数派が決定できない領域を作り出すような諸制度である。多数派に委ねるべきである公職の決定や、立法府としての意思決定が、反多数決主義的な制度によってむしろ少数派――現在のアメリカの文脈で言えば共和党ということになる――の意思を反映するかたちで行われることを問題にするのである。
制度のアップデートは可能か
このような主張は、比較政治学者としてはかなり踏み込んだものであるようにも思われる。なぜなら、比較政治学の文脈では、このような反多数決主義的な制度は、しばしば権力分立を保障し、多数派の横暴から少数派を守るための自由主義的な制度であると理解されるからである。実際、前著においてはこれらの制度はもう少し肯定的に評価されていた。つまり、相互的な寛容と自制心を前提として柔らかな「ガードレール」を作り出して民主主義を持続可能にする制度であるとしても捉えられていたのである。それに対して本書では、前提となるべき寛容さや自制心がなくなると、それらの制度は「ガードレール」になるどころか、公平な選挙で勝利を収めたわけではない少数派が様々な意思決定に過度に影響を与えることを助長することが強調されている。 そこで著者たちが議論するのは、反多数決主義的な制度の漸進的な改革である。「有権者が示した多数派とは異なる」大統領を生み出す可能性を持つ選挙人団制度、著しい定数不均衡による農村地域の過剰代表と少数派の実質的な拒否権であるフィリバスターを持つ上院、終身在職権が与えられている最高裁、憲法改正の高いハードルを作り出している憲法の条項などがその対象だ。より多くの人たちに対して選挙権を保障し、選挙でより多くの得票があった者が実際に統治する仕組みを作り、反多数決主義的な制度の力を弱めて議会の多数派に権限を与える必要がある。これは建国の父たちが残した制度的な遺産を現代的なかたちにアップデートするべきだ、ということになるが、憲法改正への高いハードルが、そのようなアップデート自体を困難にするという問題を抱えている。 憲法改正が難しいからより現実的な目標を定めるべき、という主張はありうるが、著者たちは彼らが提示するある種の「理想論」を念頭に置きながら変化を探ることの重要性を強調する。正統性の低下した制度は、すぐには変えられないとしても、そもそも変えようと思わなければ変わらないし、代替案がなければ実際に変えることができない。現在の憲法体制が最善でないことを受け入れながら、個人個人――著者たちが特に期待するのはいわゆるZ世代である――が民主主義のために行動することを呼び掛けるのである。