真琴つばさ「今日の後悔は明日の希望」宝塚時代を振り返る……忘れられない初の「せりあがり」
――ほかに印象深い作品はありますか。 忘れられない大きさで言えば一番が退団公演の『愛のソナタ』。(東京宝塚劇場の)こけら落とし公演であって、東京初演だった。そして私の退団公演。あとはNHKさんが初めて元日の生放送に挑戦なさったんです。色々なプレッシャーがあり、もう千秋楽では自分の声がよく出ていたなという声を出していました。自分の退団よりも、こけら落とし公演をしっかりと務めないと、という思いがありました。 ――こけら落とし公演を2度もするというのは、宝塚の長い歴史の中でも非常に珍しいですよね。そうした中でたくさんのメディアにも露出され、テレビの密着取材なども入っていました。 取材は多かったです。晴海ふ頭に行って。風が吹く年末ですよね。退団に向けた今の思いなどを語っている特集組んでいただいて。あと最後の稽古場(の密着)。あの時代はイキっているわけですよ。(もらった)赤いバラの花束を抱えて「じゃあね、バイバイ」と帰ろうとしたら、ドアにぶつかって…。本当に私の人生かっこよく終われないなって。 ――その中でも自分らしく、常にご自身の言葉で発信されている様子がとても印象的でした。何か意識されていたことはありますか? 宝塚にいた時は「3分の2の歴史と3分の1の冒険」と自分で言っていました。その冒険の一つひとつが歴史につながっていく。そんな冒険的にメディアに出たりしてもいいのかなと思っていました。
■同期にトップスターが4人
――71期は同期でトップスターが4人揃うという時代でした。(花組・愛華みれさん、月組・真琴つばささん、雪組・轟悠さん、星組・稔幸さん) 舞台上で(4人が)並んだのが1000days劇場の最後の公演『アデュー』の時だけだったんですよ。「私たちやっと一緒に立てたね」という感じでした。『TCAスペシャル』(各組のスターが勢揃いする公演)では、誰かが東京公演で欠けていたので。だから(4人が舞台上で並んだことが)うれしかったことは覚えています。 ――入団する時にみんなでトップを目指していこうということがあったのですか。 いや、トップ目指そうということはあまりなかったですね。とても気遣いがそれぞれにある同期ですね。