巨人を導く”スラッガー”に…シーズン40発を達成した大物5人
阿部慎之助
出身:千葉県 投打:右投左打 身長/体重:180cm/97kg 生年月日:1979年3月20日 ドラフト:2000年ドラフト1位 歴代屈指の「打てる捕手」として活躍したのが、阿部慎之助だ。 阿部は、中央大学時代の2000年にシドニー五輪へ出場。ドラフト注目候補と目されるようになり、逆指名で読売ジャイアンツに入団した。 ルーキーイヤーから1軍で正捕手格として活躍し、打率.225ながら13本塁打を記録。翌年以降は打率も大幅に向上し、守備面はもちろん打撃面でも大きな戦力となった。 新人から毎年二桁の本塁打を打ち続けた阿部。2010年は開幕から本塁打を量産。左打者の捕手で史上初となるシーズン40本塁打を達成し、最終的に44本のアーチを描いた。 また、最優秀選手に輝いた2012年は、打率.340・27本塁打・104打点をマークし、首位打者と打点王のタイトルを戴冠。統一球の影響もあって突出した本塁打数ではなかったが本塁打数もトップと4本差。三冠王にも肉薄したシーズンだった。 40本塁打を放ったのは2010年のみだったが、19年にわたって巨人を支え、プロ通算で406本塁打を記録。まさに「強い巨人」を象徴する存在だったことは、数々の数字が証明している。
松井秀喜
出身:石川県 投打:右投左打 身長/体重:186cm/95kg 生年月日:1974年6月12日 ドラフト:1992年ドラフト1位 日米で鮮烈な印象を残した松井秀喜。読売ジャイアンツでの最終打席で描いたアーチは、今もなお語り継がれている。 松井は、星稜高校3年夏の甲子園で伝説の5打席連続敬遠を経験。高校通算60本塁打の実績を残し、4球団競合の末に巨人へのドラフト1位入団が決まった。 入団1年目はプロの壁に苦しめられながらも、高津臣吾(当時:ヤクルト)からプロ初アーチを放つなど、いきなり二桁本塁打(11本)を記録。 翌年以降は着実に本塁打数を伸ばしていき、1996年に38本塁打をマーク。そして1999年と2000年は、2年連続で42本塁打を放った。 巨人在籍最終年となった2002年は、開幕からアーチを量産。同年の最終戦、最終打席で五十嵐亮太(当時:ヤクルト)からシーズン50号をレフトスタンドへ。集大成ともいえる成績を残し、最高の形で海を渡った。