復興のハンカチ(11月10日)
「こんな日に撮影はできない」。主役の一言で、映画のスタッフは手持ち無沙汰になった。その時、あさま山荘での攻防に日本中が震えていた▼高倉健さんは連合赤軍の思想に決して共鳴した訳でない。52年前の極寒の2月。冷水を浴びて闘う若者の姿を、暖房の効いた部屋で見るのは忍びないと思ったようだ。映画史研究家の伊藤彰彦さんが紹介している。希代の名優の後ろ姿から、なぜか負い目や罪悪感といった言葉が浮かんできた。自ら日々、命をつないでいることへの理由なき違和感というか…▼影のある役を演じるほど艶を増す。どこかさびれた静かなロケ地が似合った。原発事故の被災地を舞台にした主演作品を想像してみる。ある日、素性の知れない男が移り住む。暮らす人がまばらな土地で、一人黙々と土を耕す。何かの罪を償うように。実は、物理を学んだ過去があり、安全神話の一翼を成していた―▼現実の世界では、苦難と闘う震災被災者に心を寄せ続けた。きょう10日で旅立って10年。ふくしまから「復興のハンカチ」を掲げてみよう。13年8カ月を振り返り、前途を照らす思い思いの彩りで。健さんはきっと、照れくさそうに手を振ってくれる。<2024・11・10>