松田聖子、「花の82年組」中森明菜、小泉今日子…レジェンド大量出現! アイドル黄金時代到来
松田聖子と山口百恵…2人の最初で最後の共演は
’80年は、’70年代を駆け抜けた山口百恵が結婚・引退した年でもある。百恵の解散コンサートが開催されたのは、『青い珊瑚礁』のヒットの余韻も残り聖子の3枚目のシングル『風は秋色/Eighteen』が発売された’80年10月。ピンク・レディーも同年の9月に解散を発表(解散コンサートは’81年3月)、’70年代と’80年代それぞれを代表する女性アイドルのバトン交換のようなタイミングには不思議な因縁、運命のようなものを感じずにはいられない。 この年の9月に『青い珊瑚礁』で聖子が『ザ・ベストテン』で1位を獲得した週に山口百恵が10位でランクイン、これが2人の最初で最後の共演となった。 翌’81年は、伊藤つかさが『少女人形』でデビュー。たのきんトリオの冠バラエティ番組『たのきん全力投球!』から田原俊彦の妹役としてデビューしたのが松本伊代で、同年の『センチメンタル・ジャーニー』で歌手デビューを飾ることとなるが、まだ聖子の勢いは止まることを知らない。 ◆「花の82年組」デビュー そして訪れる’82年。突如として地球上の生物が爆発的に多様化したカンブリア爆発のごとく、’80年に匹敵、あるいは凌駕するような人気アイドルが多数登場、のちに「花の82年組」と呼ばれるようになった。 その代表格が中森明菜、そして小泉今日子だ。’82年にデビューした主な女性アイドルは、2人のほかに、堀ちえみ、早見優、石川秀美、三田寛子、男性アイドルではシブがき隊と、豪華な顔ぶれが並ぶ(’81年10月デビューの松本伊代も「82年組」扱いをされることがある)。彼女たち以外にもこの時期の女性アイドルのデビュー当時の髪型は、ほとんどが「聖子ちゃんカット」であり、そこからも、いかに松田聖子の影響力が大きかったかをうかがい知ることができる。 なお、明菜と今日子は、’70年代の女性アイドル界を引っ張った「中三トリオ」とピンク・レディーを生み出した『スター誕生!』出身者。この2人を送り出した翌年に、昭和アイドルの歴史に大きく貢献した番組は、その役割を果たしたかのようにいったん幕を下ろした。 ’82年組の登場後も’80年組の人気はまだまだ衰えをみせず、その放つ光が強すぎたゆえか、続く’83年デビュー組の大沢逸美、伊藤麻衣子(現いとうまい子)、岩井小百合、桑田靖子、松本明子、森尾由美らはそれぞれ一定の人気を得るものの、結果的に「不作」と呼ばれる不本意な評価をされることとなってしまった。 興味深いのは、彼女たち人気アイドルたちも、デビューして即人気が出たわけではないケースが多いことだ。山口百恵やキャンディーズなどがそうだが、’80年・’82年の、アイドル史の中でも特に豊作の年のアイドルのデビュー曲を並べてみると、それぞれデビュー曲でいきなりブレイクしたわけではないことがわかる。 ・松田聖子『裸足の季節』 ・河合奈保子『大きな森の小さなお家』 ・柏原芳恵『No.1』 ・三原順子『セクシー・ナイト』 ・堀ちえみ『潮風の少女』 ・三田寛子『駈けてきた処女』 ・小泉今日子『私の16才』 ・石川秀美『妖精時代』 ・早見優『急いで!初恋』 ・中森明菜『スローモーション』 男性アイドルも、たとえば旧ジャニーズでSMAPや嵐がブレイクまで時間がかかった例もある。デビューしていきなり売れるよりも少しずつ時間をかけて人気を獲得していくほうが、より大きく長い人気につながりやすいのかもしれない。