初期国勢調査周知に「大大阪」の芸能人が活躍してた!?
関西一円に点在していたレコード会社
浪花節宣伝隊からオール芸能大応援団へ。サポート態勢の充実には大阪の世相も反映していたのではないか。1925年4月1日、大阪市は第2次市域拡張を行い、人口は241万4804人に増加。当時の東京市を抜いて人口日本一に輝き、世界第6位の大都市になった。新聞も「歓声みなぎる大大阪」などと報じている。 翌26年御堂筋の拡幅工事着手、27年大阪市営バスが運行開始、28年ジャズの「道頓堀行進曲」がヒット。29年には阪急百貨店が開業し、四ツ橋に文楽座が落成して、30年の国勢調査を迎える。大大阪時代は色鮮やかな都市文化が花開いた時代だった。 「7枚セットの国調レコードには、他にもシリーズがあった可能性がある。国調落語があってもおかしくないし、ジャズのヒット曲『道頓堀行進曲』にちなんで『国調行進曲』が作られても不思議ではないと、想像してみるのも楽しい」(大西特別研究員) レコード文化黎明期の舞台は、東京だけではなかった。関西でも大正から昭和初期にかけて、多くのレコード会社が点在し、レコードを世に送り出していたという。 「神戸、京都、大阪、奈良、西宮、尼崎など、関西各地でレコード会社が設立され、さまざまなレコードが録音されていた。芸能による国勢調査啓発活動が関西のレコード文化を背景に実現した半面、関西のレコード産業は経営的には長続きしなかった。大大阪は素晴らしい時代だったが、大阪は過去を大事にしない、過去を振り返らないまちになってしまったのではないか。外国人観光客は安らげる場所を求めて日本へやってくる。文化を大切にするという観点から、大大阪の時代をとらえ直したい」(大西特別研究員) はつらつと技芸を競い合う芸能人たち。その多様な「芸能力」を、独自の企画力で活用しようと試みる行政。芸能と行政をつなぐレコード産業。大大阪時代の国勢調査を通じて、活力にあふれ奥行きの深い大阪の姿が浮かび上がってきた。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)