『燕は戻ってこない』“基”稲垣吾郎が父性に目覚める “人生に責任を持つ”ことの意味
呪縛から解き放たれ、父性が芽生えた基(稲垣吾郎)
もちろん、彼らの選択を“自己責任”で片付けることはできない。子どもが欲しいという欲求はそれ自体責められるものではなく、そのためには代理出産という選択を選ばざるを得なかった基と悠子。リキは生活苦から抜け出すために、子宮と卵子を差し出すしかなかった。日高やダイキと性行為に及んだのも、自分の身体が自分のものじゃなくなることに対する無意識の抵抗だ。浅はかではあったが、悠子が「彼女を妊娠しやすい体にしてたのは私たちなのよ」と基に訴えたように決して彼女だけの問題ではない。 つわりが治ったリキは、元々はりりこの実家が経営する病院の看護寮だったシェアハウスに身を置くことになった。そこでは、りりこの叔父であるタカシ(いとうせいこう)や家政婦の杉本(竹内都子)ら独身の男女が身を寄せ合って暮らしている。惜しむらくは、リキが代理母になるという選択を下す前にりりこに出会えなかったこと。もしも出会えていれば、もっと違う未来があっただろう。だが、もし先に出会えていたとしてもりりこはリキに興味を持たなかったかもしれない。だから、タラレバを言ってもしょうがない。事実として、リキのお腹で子どもは育っているのだから。 そんな中、基は遺伝子の壁や才能の限界に挑戦する教え子の姿を見て、その呪縛から解き放たれる。前回、基の母である千味子(黒木瞳)はリキに「バレエにはメソッドが大事だ」と言った。そのメソッドは一代で築かれたものではなく、多くのダンサーによって脈々と受け継がれてきたものだ。そこには必ずしも遺伝子的な繋がりは必要ではなく、基と生徒たちのように人の手から人の手へと渡していける、基はそう思えた。それは親からもらった才能ではなく、努力によってバレエダンサーとして成長してきた自分自身を認めることでもある。憑き物が落ちた晴れやかなその顔を見て、自分の人生に対して責任を持つとは、すなわち自分を愛することではないか、と感じた。自分を愛してこそ、自分にとって最良の選択が下せる。他人の人生に責任を持つのは、そこから。基はリキの子宮内で育つ胎児の映像に心を震わせる。その煌めく純真な瞳が父性の芽生えを映していた。
苫とり子