陳述書の真実は?「命令で刺した」それとも「自発的に刺した」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#22
「命令なしに刺した」ストーリー
問 俘虜を銃剣で突刺した者の名と証拠をあげよ。 答 飛行士の死の苦しみを悟って自分は第1番目、指揮官の命令なしに突いた。榎本中尉がそれから命令を出した。そして多数の兵が死体を突いた。 この後、松雄は現場にいて刺突した者の名前を、自分が見た者4名と、人から聞いた者3名、 合わせて7名の名前を挙げている。 つまり、連続して陳述書を読むと、この2通目の陳述書は、松雄は「命令ではなく、自発的に刺した」ということをさらに固めつつ、一緒にいた複数人の兵たちが捕虜に暴行を加えたところを具体的にするべく取られている。そして、「飛行士は彼の仲間の仇だ」という復讐心によるものだと印象づける内容にみえる。
書き加えられていたメモ
実は、この2通の陳述書には、ところどころに小さなメモが入っている。おそらく、調書を もとに弁護人が、松雄が本意ではなかったところをチェックしたように見える。 次回、それを検証するー。 (エピソード23に続く) *本エピソードは第22話です。 ほかのエピソードは関連リンクからご覧頂けます。
連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。 筆者:大村由紀子 RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。