陳述書の真実は?「命令で刺した」それとも「自発的に刺した」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#22
「捕虜を殴った者の名をあげよ」
問 銃剣で刺突する前に俘虜を殴った者の名と証跡をあげよ 答 北田兵曹長は俘虜を殴るために杖、又は剣を用いた。彼は兵に遺体の靴をとれと命じた。炭床兵曹長は俘虜を殴るのに、杖を用いた。K兵曹は俘虜を殴るのに拳固でやった。それと、「これは戦友の仇討ちだ」といいながら足で蹴った。他の多数の者の名を自分は憶えていない。 問 その時、どんな命令がだされたか。 答 榎本中尉が指揮した。 問 刺殺の時の指揮官の名を挙げ、何を言ったかを話せ。 答 榎本中尉が俘虜を刺殺する命令を出した。彼は「そんなやり方ではいかぬ」と言った。それから誰かが実地にやることを命じた。 指揮命令について、松雄はここではっきり、榎本宗応中尉が現場を指揮し、刺殺の命令を出したと述べている。
「飛行士は仲間の仇だ」
問 処刑の現場で見たことを詳細に話せ。 答 処刑場には20人か30人の武装した者と、30人か40人の武装しない兵がいた。 その時、甲板水夫の一人が飛行士を杭に縛りつけていた。田口隊のK兵曹が悪態をつきながら俘虜を殴り、足で蹴った。彼は「飛行士は彼の仲間の仇だ」といいながら、ほかの者にも同じ様にさせた。北田、炭床両兵曹長は杭に縛り付けられて赤子のようにどうすることも出来ない俘虜をひどく殴った。北田兵曹長は杖か剣で胸を殴り、炭床兵曹長は杖で胃を殴った。飛行士の顔はねじれ、泣かんばかりだった。 1週間ほど前に田口隊の隊員3人が空襲で亡くなったことから、田口隊の隊員たちが「飛行士を仲間の仇として」処刑に臨んだと話している。 (藤中松雄の陳述書) この時K兵曹は、田口隊の者に「彼等の仲間の仇だから飛行士を突け」と言った。その上、炭床兵曹長が俘虜の鼻と口を拳骨で血が出るまで殴った。これを見て彼は「よい気味だ」と言って、杖で胃を殴った。
指揮官がいるにも関わらず「自発的に刺した」
前段で松雄は、現場の指揮をしていたのは榎本中尉で、捕虜を刺殺する命令を出した、と述べていたにも関わらず、やはり自分は「自発的に刺した」と言う。 (藤中松雄の陳述書) 飛行士の顔は、目もあてられない死の苦しみの絵の様だった。自分の身を俘虜の立場に置いて、そんなに苦しむよりも却って早く死んだ方がよいだろうと思った。それで自分は自発的に、銃剣を自分の傍らにいた者から取って、何の命令も受けずに俘虜を突き刺した。自分ははっきりとこの点を記憶している。 その後で榎本中尉が誰かに俘虜を突けと命令した。そして「そんなやり方ではいかぬ」といいながら、誰かにどの様にしてやるかを実地にやって見せる様に命令した。 指揮官の命令なしに自分が行動した事実と関係なく、自分はある人の貴重な生命を奪った。こうして自分は人道の上に許されざる重大な罪を犯した。 自分はこの罪に対して罰を受ける事を、ただ切に願うものである。自分が最後の正しい道を歩んだなら、これが死んだ飛行士に対する、自分の慰めでもあれば、又罪滅ぼしでもあろう。 この松雄の心情は、本人から出たものなのだろうか。家族のもとから連れて行かれる時に、 「すぐ帰るから大丈夫」と言って出て行った松雄に、どれくらいの罪の意識があったのか。 「人道上、許されざる重大な罪」とは違うように感じる。