時代に生きた芸術家たちの魂の声に心震わされる ミュージカル『ファンレター』上演中
韓国創作ミュージカル『ファンレター』の日本初演が東京・日比谷のシアタークリエで開幕した(ハン・ジェウン台本・歌詞、パク・ヒョンスク音楽、栗山民也演出、木村典子翻訳、高橋亜子訳詞)。1930年代、日本統治時代の京城(現在のソウル)を舞台に、才能あふれる文人たちの文学への愛と苦悩を鮮烈に描いた秀作だ。当時の李箱や金裕貞などの著名な文人たちで結成された文学親睦会「九人会」をモチーフに、先人の遺した一節や実際の文壇エピソードなどを巧みに潜ませて構成。ひとりの文学青年の葛藤を軸としたミステリー調の物語が、ドラマチックな旋律とともに綴られる。 【全ての写真】ミュージカル『ファンレター』より 新聞社で雑用係として働く作家志望の青年セフン(海宝直人)は、文人たちの集まり「七人会」で憧れの作家キム・ヘジン(浦井健治)とついに対面する。かねてよりセフンは“ヒカル”の名でヘジンにファンレターを送っていて、手紙を通してふたりは親睦を深めていたのだ。しかしヘジンはヒカルを女性と思い込み、激しく夢中になっていた。肺結核を患うヘジンにとってヒカルは生きる希望であり、セフンは真実を告げられぬまま手紙を書き続ける。次第に彼の中のヒカル(木下晴香)は別人格として膨れ上がり、セフンの文学への欲望を煽って翻弄する。 登場人物たちの熱き掛け合い、それぞれの思惑が情感豊かな音楽に乗って歌われるが、芸術に命を燃やす人間の生に焦点を当てた栗山演出は、ミュージカルというよりも深淵な心理劇を覗く趣きだ。 誠実に文学の道を目指しながらもヒカルという野心を内包する、そんなセフンの混乱を、海宝がひたすら純粋に、実直に表現し、波打つ感情をそのまま歌に乗せて観客をも戸惑いの渦に引き入れる。徐々に意志を強く示してセフンを振り回し、ヘジンも操っていくヒカルの変化がとてつもなく魅惑的で、木下のしなやかな動きと美声、ファム・ファタルの微笑みに魅入られずにはいられない。 そして猫背のボサボサ頭で現れた浦井ヘジンの、世捨て人のような天才作家の風貌に漂う、愛しさと哀切。ヒカルに固執する弱さを全身に滲ませ、諦観のつぶやきから血を吐くような叫びまで、泥臭く人間の業を曝け出すさまに浦井の新境地を見たように感じた。 セフンに“ヒカルの真相”を語るように仕掛ける自信家の詩人・小説家イ・ユン(木内健人)を始め、新聞社学芸部長イ・テジュン(斎藤准一郎)、詩人キム・スナム(常川藍里)、評論家キム・ファンテ(畑中竜也)ら「七人会」のメンバーそれぞれの個性も、俳優陣の確かな技量で丁寧に浮かび上がっていた。 抑圧の世に生きて自国の文学を守り抜こうとする彼らの情熱は、眩しい煌めきと複雑な痛みを誘う。ヒカルを巡るセフンとヘジン、才能の在り処を求めてもがく奇妙な三角関係の終着も、あまりに切ない余韻となって胸を突く。時代に生きた芸術家たちの熱い息吹、魂の声に心震わされる極上のひとときを体感した。 取材・文:上野紀子 <公演情報> ミュージカル『ファンレター』 オリジナル・プロデューサー:カン・ビョンウォン 台本・歌詞:ハン・ジェウン 音楽:パク・ヒョンスク 演出:栗山民也 出演: チョン・セフン 海宝直人 ヒカル 木下晴香 イ・ユン 木内健人 イ・テジュン 斎藤准一郎 キム・スナム 常川藍里 キム・ファンテ 畑中竜也 キム・ヘジン 浦井健治 【東京公演】 2024年9月9日(月)~9月30日(月) 会場:シアタークリエ 【兵庫公演】 2024年10月4日(金)~10月6日(日) 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール