豪雨災害で再び被害 苦境に立つ石川県珠洲市の「塩づくり」 再起にむけて
テレビ金沢NEWS
9月の豪雨災害で再び大きな被害にあった珠洲市の塩田村。伝統の「塩づくり」が苦境に立たされる中、再起を誓う男性の思いを取材しました。 10月10日、奥能登豪雨から約3週間。大規模な土砂災害が町を襲った珠洲市大谷地区では、いまも、その爪痕が色濃く残っています。豪雨での被害はこの地域の伝統産業にも暗い影を落としていました。
道の駅「すず塩田村」駅長・神谷健司さん: 「これ復旧するのはかなりの労力、時間が必要になるかなという思いで、ずっと塩田を眺めていましたね。言葉がなかったですね」 道の駅「すず塩田村」の駅長・神谷健司 さん。豪雨の翌日に見た変わり果てた塩田の姿に言葉をなくしたといいます。
汲み上げた海水を砂地にまく「揚げ浜式」と呼ばれる塩づくり。日本で唯一、珠洲に残っている技法とされ、その魅力の発信拠点となっている塩田村では、これまで、多い年で年間18万人の観光客が訪れていました。
しかし、元日の地震で塩田にはひびが入り、海水を汲み上げていた海岸線は40メートルほど沖へ後退。海岸からの配管を伸ばすなどして、地震の約4か月後の 4月24日、ようやく「塩づくり」を再開しました。道路の復旧が進めば、年内には、観光客を迎えられる見通しでした。
ところが―。 9月21日に奥能登を襲った豪雨が復興までの道のりを一変させました。 砂地を覆う、岩や流木。近くの斜面から流れ出た土砂が2面あった塩田を完全に飲み込みました。 神谷健司さん: 「四角く残っているのが塩田なんですけど、どれくらいですかね、10センチから多いところでは20センチの土砂が流入してしまったということですね」
泥は塩水を炊くためのかまどの中にまでも流れ込みました。ことしの塩づくりは中止せざるを得ず再開の見通しは立っていません。 さらに… 「この先進めない」 観光客を運ぶ主要なルートにも新たな土砂崩れが発生。地震後に描いていた本格復旧の見通しは更に遠のきました。