「吉原遊郭」は人工の水路に囲まれていた!?暗渠道をたどって歴史の紐を解く旅
なぜ土地に高低差?吉原遊郭が一段高いワケとは
石垣の護岸など、水路の痕跡が随所に残るかつての吉原。もともと沼地だった場所を造成するために高くしたため、土地に高低差ができたそう。おはぐろどぶから内部を見ると、遊郭だった土地がどの方角から見ても一段高くなっています。 そんな土地に遊郭が誕生したきっかけは 今から約400年前のこと。現在の東京・日本橋あたりに存在した「元吉原(もとよしわら)」まで遡ります。 当時、江戸の中心地にあり、風紀を乱すと懸念された元吉原は、「明暦(めいれき)の大火」により焼失。移転を余儀なくされます。 そこで目をつけたのが、当時は湿地帯で人も少なかった浅草。遊廓を造るため土地を造成し、周囲よりも高くなったこの街は、「新吉原(しんよしわら)」として江戸で最も賑やかな街へと生まれ変わりました。 遊廓の誕生から200年以上繁栄を極めた吉原ですが、明治以降になると人々は次第に新橋などの中心部に移り、吉原は縮小。おはぐろどぶも徐々に埋め立てられることに。 吉原衰退の最大の原因となったのが、震災や空襲による度重なる被災。関東大震災では火災から逃れようと、近くの弁天池(べんてんいけ)に多くの遊女が飛び込み犠牲になったと言われています。 そして昭和33年、売春防止法により約300年の歴史に幕を閉じました。時代に翻弄されながらも人々を魅了し続けたその煌びやかな世界は、今もなお語り継がれています。 2024年11月19日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より
CBCテレビ