日本は「離婚=バツ」だが、フランスでは…“恋愛大国”から学ぶべき価値観
恋をする自由を放棄してはもったいない
――話は変わりますが、今回のご著書は、令和の恋愛観に風穴をあけるという裏テーマがあると伺いました。日本人の男女と比べて、フランスの男女はどう違いますか? 髙野:そうですね。たとえばマッチングアプリで出会っているカップルもいるようで、結構それを自然に受け入れていますよね。もちろん、幸せに家庭を築いている方々も多いようです。ただ、お見合いの時代に先祖返りしているような印象もあります。 フランスのようにとはいかなくても、恋をする自由を放棄してはもったいない。失敗もあるでしょうけれど。マッチングアプリを知らない世代の我々はそうしてきましたからね(笑)。
データをもとにして恋愛が進んでいくのは…
――最初からテクノロジーに仕分けされた情報で選び取るのは少し味気ない、ということでしょうか? 髙野:フランス映画に描かれる恋愛は、楽しいことばかりではなくて、むしろ悲劇的なことも多くて、ある場面では命がけだったりするわけです。映画はそこに皮肉や美意識を挟み込んで芸術に昇華させていくわけですが。そこから学べることは、恋愛は、自分以外の他者を知る、いいチャンスでもある。そして、それによって自分が何者であるかを知ることも出来る。そうしてお互いに年を重ねていくのが理想なんでしょうね。 難しいことではありますが、あまり頭で考えずに飛び込んでいく度胸も必要なのかなと思わせられます。そういうプロセスなしに、データをもとにして恋愛が進んでいくというのが、ちょっとSF的でもある一方、失敗をしないようにという、いわば、「愛の出し惜しみ」が感じられたりして。 拙著の冒頭に登場する『5時から7時までのクレオ』では、恋愛映画の先駆者であるアニエス・ヴァルダ監督が、まさにそういうことを描いている作品です。「国のために戦うくらいなら恋のために死にたい」と言える男がフランスには存在することもわかり、さすが恋愛大国だなと感じてしまうのです(笑)。
日本は「バツ」だがフランスでは…
――愛を出し惜しむ理由はなんでしょうね。恋愛においても他の局面においても、「失敗したくない」という思いがそうさせるのでしょうか? 髙野:実際のところどうなのか、明確にはわかりません。ただ、そうした臆病さはあるかもしれません。逆にネットを介して見知らぬ相手と会おうというのは、臆病どころか大胆だなとも思いますが(笑)。また、拙著では、シャルロット・ゲンズブールが主演している『午前4時にパリの夜は明ける』という作品も登場させました。 本作を一言でいうと、離婚することを巡る物語です。愛していたはずの人との別れは日本では「バツ」がついたりする。しかし、フランスにおいては、それを新たな自立のチャンスと前向きに捉える。「失敗」とはみなされない。 思い悩みながらもターニングポイントを得て、次の人生を輝かせようと力強く生き抜こうとあえぎ、映画の大団円では重大な決意をする主人公の笑顔、これを皆さんに観てほしいなと思いますね。