宮崎大祐の新作「V. MARIA」制作決定 主演は菊地姫奈、ヴィジュアル系が題材に
「VIDEOPHOBIA」「PLASTIC」で知られる宮崎大祐の新作映画「V. MARIA(ヴィイマリア)」の制作が決定。ドラマ「ウイングマン」に出演中の菊地姫奈が初めて映画単独主演を務める。劇場公開は2025年春を予定。 本作は母子家庭で育った主人公のマリアが、母親の遺品整理をしている中で「MARIA」と名付けられた再生できないデモテープを見つけることから始まる物語。自分の名前と同じデモテープを見つけたマリアは、母の秘密を知るためにライブハウスへと向かう。そこで待っていたのは、ヴィジュアル系と呼ばれる音楽だった。彼女は亡き母の軌跡をたどりながら、自分自身を見つ直していく。脚本はドラマ「あせとせっけん」や「年下彼氏2」を手がけた池亀三太(マチルダアパルトマン)が執筆した。 実写版「【推しの子】」のドラマシリーズや映画「遺書、公開。」といった出演作も控える菊地。すでにヴィジュアル系バンドの虜になっているという彼女は「家族愛や友情、学生ならではの悩みや葛藤など、登場人物一人ひとりの細かな心情の変化を丁寧に描いています」「マリアの1番の理解者になりながら、マリアに寄り添い、作中での細かな心情の変化など一つ一つ丁寧に考え、最高の作品にできたらと思います」と撮影への意気込みを語った。 本作は創立30周年を迎えた制作プロダクションのメディアミックス・ジャパン(MMJ)が、若手社員を対象に映画プロデュースの機会を与えるプロジェクト「M CINEMA」の第1弾。かねてヴィジュアル系バンドが好きだったプロデューサーの小澤友美が、現在のヴィジュアル系のシーンを盛り上げたいとの思いから企画を発案した。普段はバラエティ番組の制作を担当し、ドラマや映画の制作経験がないにもかかわらず、いち早く企画書を提出。ヴィジュアル系の魅力を熱弁するプレゼンの姿が企画の成立につながったという。小澤と宮崎によるコメントも下記の通り。 ■ 菊地姫奈 コメント 今回、初主演のお話を頂き、マリアと言う大切な役を演じさせて頂ける事を大変嬉しく思います。 物語のカギとなっている「ヴィジュアル系バンド」は私自身、今まで深く触れた事がなかったジャンルでした。 この台本を初めて読み、「ヴィジュアル系」に強い興味を持ちました。 あまりなじみのなかった音楽のジャンルでしたが、そこには深い歴史があり、最高の音楽がありました。 そして、今では自分のプレイリストに入れてしまうほど「ヴィジュアル系バンド」の虜になっています。 今回の作品は「ヴィジュアル系ロック」を通して、家族愛や友情、学生ならではの悩みや葛藤など、登場人物一人ひとりの細かな心情の変化を丁寧に描いています。なので、「ヴィジュアル系ロック」が大好きな方にはもちろん、今日までなじみのなかった方にも是非1度観て頂きたい、そんな作品です。 この作品を観た後には、どこか懐かしさを感じながらも前向きな気持ちになって頂ける、そんな物語になっていると思います。 クランクイン前でありながら、既に緊張しておりますがこの緊張を糧に、より良い作品を皆様に届けられるように精一杯向き合い、頑張りたいと思います。 マリアの1番の理解者になりながら、マリアに寄り添い、作中での細かな心情の変化など一つ一つ丁寧に考え、最高の作品にできたらと思います。是非、ご覧ください。 ■ 小澤友美 コメント 「ヴィジュアル系」と呼ばれる音楽シーンが全盛期を迎えてからおよそ30年。日本発の文化として根強い海外人気はありますが、国内においては時代の変化と共に少しずつ影を潜めている印象があります。老舗のライブハウスが続々と閉店し、CDでしか聴けない往年の名曲や名盤はネットの片隅にその居場所を移し、新しい世代のアーティストやリスナーも生まれづらくなっています。一方で、LUNA SEAやX JAPANをはじめ、その文化の礎を築き、独自のロックを奏でて活躍されているアーティストたちに憧れ、入口として「ヴィジュアル系カルチャー」に触れる若者や、新たな表現へと昇華している方々もいます。形を変えながらも歴史を積み重ね、若者の「青春」をいまだ紡いでおり、私もその音楽に魅了され青春時代を過ごした一人でした。私にとって「ヴィジュアル系カルチャー」は、「痛みや悩みを共有して癒してくれる、背景関係なくみんなが1つになれる」場所でした。人生の節目で寄り添ってくれる「Visual Rock」リスナーの1人として、そんな「場所」を増やしたい、無くしたくないという思いで、今回この映画を立案させて頂きました。監督をはじめ、「Visual Rock」シーンを愛する様々なご関係者のみなさまのご協力を得て、映画というエンタメを通じて、ヴィジュアル系カルチャー、バンドを愛するファンの皆さん共に、音楽だけが持つワクワクやトキメキを届けられればと思っております。 ■ 宮崎大祐 コメント すべての大切なもののなかでも、どうして好きかわからないものが一番大切だ。どうして好きかわかるものはたやすく人と共有できる。だがどうして好きかわからないものの好きな理由は、わたしにしかわからない。だから、どうして好きかわからないものは、わたしの存在を規定していると言ってもいい。そんなことを考えていたある日、この企画のお話をいただいた。 さかのぼること30年ほど前、放課後のチャペルで出会ったきらびやかで凶暴な音楽は、わたしを瞬く間に表現の世界へといざなった。そこで出会ったアーティストたちが教えてくれた美学や哲学はわたしを広い世界へと導いてくれた。芸術は果てしない。表現は狂おしい。だから命を賭してでも打ち込む価値がある。例え今はその尖り方ゆえに理解してくれる人がいなくても、世界のどこかにはかならず耳をすませてくれている人がいる。 そのときわたしに降り注いだ音楽がなぜ好きなのかはいまだに説明ができない。だがなんだかわからないけれど大好きなあの音楽とともに今日も生きているという点において、宮崎大祐は今日も宮崎大祐であり、表現をつづけられている。あの日から30年間重ねた想いをどうにか90分の歌にして、世界中に届けられたらと思う。