藤田小女姫事件の公判で「真犯人はほかにいる」…獄中死「福迫雷太受刑者」が明かした「私は組織の一員で、濡れ衣を着せられた」の真相
脅されて遺体の処理をやむなく手伝った
福迫受刑者の審理は以下のような経緯を辿っている。 〈陪審員選定を経て、1995年2月下旬から実質的審理に入った。検察側の主張は――吾郎君に借金のあった福迫が、母親の小女姫さんから2万ドルをゆすりとろうとして失敗。小女姫さんを彼女の自宅で殺害し、さらに福迫の自室に監禁していた吾郎君を同じく射殺した。その死体を吾郎君の車に乗せ、『パークショア・ホテル』の駐車場に運んで火を付けた――というもの。2万ドルという数字は、殺される直前の小女姫さんが、ホノルルにある日系銀行の旧知の会長に電話で用立てを頼んだ額だった〉(「週刊新潮」1995年9月7日号「藤田小女姫殺しで服役三十年となった意外な確証」) 〈一方、弁護側は実質審理に入ると、それまでの全面否定から一転。福迫が借りていたコンドミニアムのエレベーター内の防犯ビデオに、遺体らしきものを選ぶ福迫が映っているのを認めたのだ。そして、福迫は脅されて吾郎君の遺体の処理をやむなく手伝ったが、真犯人はほかにいる、と事件への関与は肯定したのである。はっきり遺体と認識していたわけではないという苦しい論法だが、検察側が主張する「単独犯行」説を突き崩す戦略ではあった〉(同) 真犯人はほかにいる――。果たして、福迫受刑者の主張は、刮目すべき新事実だったのか、それとも苦し紛れの言い訳だったのか。いずれにせよ、〈陪審員12人による評決は有罪。第1級殺人は退けられたものの、第2級で有罪〉(同)だった。この陪審員による評決を受け、ついに判決公判が開かれることとなる。
「周囲の人に手出しをしてくれるな」
〈ホノルル市中心部にある地裁で、1995年8月23日午前9時半すぎから始まった判決公判に、福迫雷太は服役者が着る草色のつなぎ服姿で現れた。その背中には、オアフ・コントロール・クライム・センターを略したOCCCの文字があった。公判の始まった2月当時に比べると、色も白く、かなり太ってはいたが、いたって健康そうだったという。判決言い渡しを前に、ゲール・ナカタニ判事から発言を促された福迫は、 「私は組織の一員で、濡れ衣を着せられた。だが、この件については一切口を割らないから、周囲の人に手出しをしてくれるな」 という意味のことをいい、自分が殺害に直接関与したわけではないことをあらためて主張している〉(同) ここでも新たな証言が飛び出したものの、 〈だが、判決は終身禁固。小女姫さんと吾郎君の第2級殺人(第1級との違いは計画性の有無)を合わせて「終身刑2回分」という理屈だ。ただし、第2級殺人の終身禁固には仮釈放が認められていて、そこに至るまで1件につき「最低15年」。つまり2件で「最低30年」の服役が科せられたのである〉(同) そして、およそ30年近く服役していた福迫受刑者は突如として帰らぬ人となった。事件の全容が解明される可能性は、限りなく薄れたというべきだろう。 関連記事(「息子は狙われていた」「真相をしゃべられてはマズいから殺された」 “天才霊感少女”藤田小女姫事件で服役していた男の母親が独白)では、福迫受刑者の実母が“2つの事件”についての思いを打ち明けている。 デイリー新潮編集部
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