彼氏に、兄に勧められ…太宰作品と過ごした青春の日々
6月19日は桜桃忌です。作家・太宰治をしのぶ日です。太宰が東京・三鷹の玉川上水に入水自殺し、遺体が発見されたのは1948年6月19日でした。39歳の誕生日でもあり、死の直前の名作「桜桃」にちなんで名付けられました。墓のある三鷹市の禅林寺には毎年、全国から大勢の太宰ファンが訪れます。読売新聞朝刊の投書欄「気流」には、太宰に関する投書が寄せられてきました。記者の心に刺さった投書を紹介する「ササる投書」、今回のテーマは「太宰治」です。(※投稿者の年齢や職業などは掲載当時。紙面では実名で掲載)
先生には止められたが…中学時代に愛読「人間失格」
太宰治没後50年を前に、代表作「人間失格」の草稿が大量に見つかったという記事を読み、たまらなく懐かしくなった。
40年以上も前、私立の女子中の3年生のときだ。初恋の彼が太宰に傾倒し、「人間失格」を貸してくれたのだ。主人公と彼を重ね合わせながら、夢中で読みふけった。
夫人の名前が私と同じ美知子であることにも親近感を覚え、次から次へと太宰の作品を読みあさった。
しかし、当時の国語の先生には、そういう本は読まない方がいいとまゆをひそめながら忠告された。「花嫁学校」の女子生徒が読むには退廃的過ぎると思われたのかもしれない。
それから20数年後、息子の中学の教科書に太宰治の「走れメロス」が収録されているのを見つけたときは、なつかしいやら、驚くやら……。今はすっかり太宰を卒業しており、ただひたすら甘酸っぱい思い出だけが残っている。(57歳・自営業=神奈川県、1998年5月30日掲載)
生家、疎開先…青森で「太宰の夏」経験
昨年夏、青森県を訪ね、太宰治の足跡をたどった。学生の頃、太宰の作品をたくさん読み、作品を通して見える彼の人柄にひかれた。いつか訪れたいと思い続け、ようやく夢がかなった。
太宰の生家、戦時中の疎開先、よく通っていたという喫茶店……。どこを訪れても、彼がそこにいるような気がした。真夏の青森は意外なことにとても暑かったが、「きっと太宰も同じように暑いと感じたのだろう」と思えば味わいがあった。