スマホによる「常時接続」がもたらす変化と「ネガティヴ・ケイパビリティ」の新しい可能性
■<孤独>の時間が圧倒的に足りない、常時接続の時代 ――心を分ける、とはどういうことか詳しくお聞きしたいです。例えば「夢を追いかけたい心」と「諦めて安定を取りたい心」をそれぞれ別の自分として扱う……みたいなイメージでしょうか? 谷川先生:そうですね。例えば「仕事中の自分」「家族と過ごすときの自分」「友達といるときの自分」などの自分を区別するということ。漫画表現であるみたいに、自分の中の「天使と悪魔」みたいなイメージでも、「本音と建前」でもいい。要するに、私たちは心の中に無数の自分を持っているんです。その自分たちをすべて別人として分ける。「心を分ける」とは、自分を一枚岩と考えずに、群衆としてとらえることです。 『株式会社 自分』と考えるといいかもしれません。社内では、いろいろな立場の自分が異なる意見を持っている。両立できないプロジェクトが立ち上がることもあるし、争いも起きる。与えられている裁量も違うかもしれません。 そのような立場や意見の異なる自分を分けて考え、その自分たちと一緒に過ごし、対話する。それがハンナ・アーレントの言うところの<孤独>です。異なる自分が複数いて、それらが対話するからこそ、自分の中から新しい考えや手札が出てくる可能性がある。異質なもの同士の出会いの中からしか、新規性というのは生じませんから。 しかし、常時接続時代のせいで、私たちにはこの<孤独>の時間が圧倒的に足りていないんですよね。余白の時間があると、すぐに誰かや何かとつながってしまう。スマホによるジャンクな刺激によって<孤独>のための時間を奪われているように感じます。 ――逆に考えると「SNSの中の自分」もいるように思います。一人でいるときにSNSをすることを「SNSの中の自分といる」ととらえ、スマホやSNSを通じて自分と向き合うことはできないのでしょうか? 谷川先生:できないとは言い切れませんが、得策ではないと言いたいですね。 私たちはスマホに慣れすぎていて、「SNS上の自分」をかなり発達させているところがあります。なんとなく世間受けしそうな、「誰でもない誰かの期待」を内面化してしまっているのが「SNS上の自分」です。これは不特定多数用の自分なんですよ。 ――確かに、「不特定多数用の自分」と向き合ってしまうことは、自己対話というより、マーケティングに近くなってしまいそうですね。 谷川先生:「マーケティング的な自分」。それはいい言葉ですね。SNS用の自分とは、「みんながいい人だと思いそうな人」にチューニングを合わせたものですから。 人間はそもそも社会的な生き物であり、誰しも空気を読むことは避けられません。だからこそ、<孤独>の価値は、不特定多数用ではない自分をどう発達させていくかにあるのだと思います。普通に生きていると難しいからこそ、「世間に合わせた自分」「SNS用の自分」とは相反する自己をどう育てるかということが大事なんですよ。 ■スマホ時代を経たからこその「ネガティヴ・ケイパビリティ」 ――インタビューのPart1でお話ししていただいた「モヤモヤをそのままにしておく力」「わからないことを安易に解決せず、向き合い続ける力」である「ネガティヴ・ケイパビリティ」。考え続けることで、これまでにない手札を見つけることができる…というお話しでしたが、その創造性を妨げてしまうのが「常時接続」だというイメージを持ちました。ということは、スマホがない時代、例えば昭和期なんかには、そのような問題はなかったのでしょうか? 谷川先生:そうとも言えないですね。スマホがなかった頃は、確かに通知や刺激は少なかったけれど、そのぶんアクセスできる価値観も少なかった。例えば「女性は教育を受けたらお嫁に行けない」みたいな世界で生きている人が「そうじゃないよね」という価値観にたどり着くことが難しい時代だったと思います。 社会の価値観が特定のものしかない状況では、「他の選択肢はないんだろうか?」と想像することは難しい。たぶん、漠然とした違和感に留まり、具体的なモヤモヤや自己対話の形をとることはほとんどなかったはずです。 でも、常時接続により情報がどんどん流れてくる時代になった結果、私たちは多様な価値観に気軽にアクセスできるようになり、選択肢が急速に広がっている。「他の生き方もある」と気づきやすくなったのは、やはりスマホやSNSの功績です。そういうときにこそ、迷いや悩み、モヤモヤが生じる余白が生まれます。 ――スマホでさまざまな価値観をインストールした現代だからこそ、「ネガティヴ・ケイパビリティ」にさらなる創造性が生まれた……ということでしょうか? 谷川先生:そうですね。現代の情報の濁流の中で得た知識や価値観をベースに、<孤独>の中でいろいろと考え、想像していく。つまり、SNS以降の多様な価値観を前提に、ネガティヴ・ケイパビリティを発揮しようとするのが望ましいでしょう。今日の日本社会で、メンタルヘルスの分野で「ネガティヴ・ケイパビリティ」という言葉が注目されはじめたのも、スマホが生活や人間の在り方に大変な影響を与えているからこそだと思います。 無数にある情報の中からあたかも自分のことを指しているような言葉を見つけてそれを自分だと思い込むような「自己の単純化」ではなく、得た情報を<孤独>の中で思考に使い、自分の力で新しい自己を探っていくこと、世間に合わせた自分ではない可能性を掘り下げること。それが常時接続に飲み込まれず生きるためには必要だと思います。 哲学者 谷川嘉浩 1990年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。現在は京都市立芸術大学デザイン科で哲学、教育学、文化社会学の専任講師を務める。『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)、『スマホ時代の哲学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)等、著書多数。 イラスト/林めぐみ 取材・文/東美希 画像デザイン・企画・構成/木村美紀(yoi)