「障害者リポーター」から「リポーター」へ。三上大進さんが苦悩した東京オリンピック・パラリンピックで、選手から気づかされたこと
「障害者リポーター」という肩書きに苦悩した日々
――自分の違いを受け入れた分だけ、他者の違いを受け入れられるようになる、という言葉がすごく印象的でした。そう感じるようになったきっかけは何だったんでしょうか。 リポーターの経験を経て少しずつ自分の障害に目を向けられるようになった過程で、気がついたことがあります。それは、自分自身の「チガイ」を受け入れることができた深さの分だけ、誰かの「チガイ」を受け入れられるようになるということです。 ――『ひだりポケットの三日月』より三上:私が生まれ育った環境には、障害のある人がいませんでした。パラスポーツの取材をするまで、自分以外の障害のある人と触れ合ったことがなかったんですよね。パラスポーツの取材に行くと、もう障害があるのが当たり前の世界じゃないですか。そこでは、みんな自分の障害を受け入れて、当事者同士でネタにしたりもしていたんです。 そこで感じたのは、自分の身体のことを研究して、ときには自分と向き合えない心のことも理解しているからこそ、他者の痛みもわかる、ということです。障害の種類は違っても同じような経験があると、こういうときってこういうふうに感じるよね。簡単そうに見えて実はできないよね。わかるわかる、っていうふうに、きっと言葉はなくても、その人のことを理解できるだけの深さが生まれていくのかなってすごく思いました。 ――ちなみに、リポーターになられた当初、「障害者リポーター」っていう肩書きがついていて、少し悲しい気持ちになったそうですね。さらに、名前の横に()で障害名も表記されていた。障害が自分のアイデンティティじゃないというお気持ちがあったから、そう感じられたんでしょうか。 まるでラベルのように貼りつけられた見慣れない表記に、強い違和感を覚えました。まるで見せ物になってしまったような、そんな居心地の悪さ。そんなに障害者ってことを前面にアピールする必要って、あるんだろうか。 ――『ひだりポケットの三日月』より三上:そうですね。あとは、障害のあるなしにかかわらず、私は選手の魅力はもちろん、多様性を認め合える「社会の橋渡しの役割」を果たす一つのキッカケになれたらいいなと思ってリポーターに挑戦したんです。でも、「障害者リポーター」という肩書きだと、まさに自分の存在そのものが、「障害がある人」と「障害がない人」を明確に区切る一因になってしまうのではと思ってしまって、すごく苦しかったです。
撮影/水野昭子 文/ヒオカ 構成/金澤英恵
三上 大進