映画『傲慢と善良』があぶり出す婚活のリアル──藤ヶ谷太輔と奈緒がダブル主演で、9月27日に劇場公開
藤ヶ谷太輔と奈緒がダブル主演を務める映画『傲慢と善良』が9月27日に劇場公開される。マッチングアプリで出会った男女に待ち受ける恋愛ミステリーの見どころを、ライターのSYOがレビューする。 【写真を見る】藤ヶ谷太輔、奈緒、倉悠貴、桜庭ななみ、阿南健治、宮崎美子、西田尚美、前田美波里ほか
藤ヶ谷太輔と奈緒がダブル主演
「ツナグ」「朝が来る」「ハケンアニメ!」「かがみの孤城」ほか、映像化も数多い人気作家・辻村深月の人気小説を『ブルーピリオド』が好評を博した萩原健太郎監督、ドラマ「最愛」の脚本家・清水友佳子のタッグで映画化した『傲慢と善良』(9月27日公開)。マッチングアプリで出会った男女に待ち受ける恋愛ミステリーで、藤ヶ谷太輔と奈緒がダブル主演を務める。 長年交際していた恋人にフラれてしまい、マッチングアプリで婚活を始めた架(藤ヶ谷)は、控えめで心優しい真実(奈緒)と出会い、付き合い始める。だが、1年経ってもなかなか結婚に踏み切れずにいた。そんなある日、真実がストーカー被害に遭っていると知った架は遂に婚約を決意するも、真実は突然姿を消してしまう──。真実の行方を捜していくなかで、架は彼女の過去と、驚くべき嘘を知るのだった。 「事件を通して、一番近くにいたはずの人物の意外な一面を知る」といった物語の構造自体は、これまでの映画にも見られるいわば王道なもの。本作はそれを逆手に取り、現代を生きる男女の意識や価値観の違いを解像度高く描き出した。 たとえば、結婚。どれだけ時代が進み、多様な生き方が“普通”になってきても、「適齢期」という概念はこの世から消えないだろう。結婚→妊娠・出産→育児というプロセスを踏むのであれば、身体構造上「大体何歳までにこのポイントを通過しておくと楽」はどうしても(多少のバッファはあれど)揺らぎにくい。本人にその考えがなくとも、周囲や或いは世間から「一般常識」という名の圧をかけられるものだ。『傲慢と善良』の劇中でも、さりげなくもいやらしくそうしたセリフがぽつぽつと挿入され、我々が日常生活を送るなかで晒される「こうあるべき」「こういうもの」といった“呪い”が次々と可視化されてゆく。 そして、マッチングアプリを使った婚活事情。劇中で「今の婚活は皆、自分の価値観に重きを置きすぎている」といったようなセリフが登場するが、自分とマッチする相手を「選ぶ」以上、どれだけ根が善人であっても他者を品定めし、選別する行為が発生する。ひょっとしたら、付き合ってからも無意識のうちに恋人を採点しているかもしれない。そしてまた、選ばれるために自分を誇張することもあるだろう。収入や身長、年齢等を多少サバ読ませたり、性格や趣味など、自分の真実をちょっと盛ってみたり──。 もちろんマッチングアプリは便利で効率的だし、狭い交友関係の中では出会えなかった“運命の相手”とめぐり合う可能性も高いのだが、その奥にはある種の痛々しさも存在する。『傲慢と善良』はこうしたマッチングアプリとの付き合い方やインスタグラムで“頑張ってしまう”自分の見栄っ張りな本性──痛いところを的確につきながら、男女の違いや現代のリアルを実に鮮やかに比較してみせる。その象徴が、架と真実の人物像だ。 架は快活で献身的な人物ではあるのだが、のほほんとしていて本人も無意識に傲慢になってしまう。そして真実は、善良に生きようとする=理想を演じようとするほどにその型にはまり込み、息苦しくなっていく。マッチングアプリの欠点として「本人/実際とのギャップに幻滅しやすい」があるだろうが、“清書”した状態で出会ったことで、その役を演じ続けねばならなくなったり、「また次がある」と思い込んでしまったりといったメンタルへの影響もビビッドに描かれる。 ある種の生々しさを伴った人物に扮した藤ヶ谷と奈緒も絶妙で、一生懸命だがどこか無責任な架を藤ヶ谷がサラッと演じて「こういう人いる!」「自分もそうかも」と思わせれば、『マイ・ブロークン・マリコ』や『君は永遠にそいつらより若い』ほか、登場人物が辿ってきた人生を感じさせる“入り込み”と“行間を読ませる芝居”に秀でた奈緒が、作品全体のテーマ性やミステリー部分も担っている。 “建前”をはぎ取り、“本音”を晒す映画『傲慢と善良』。先に述べたように痛いところを突く映画ではあるのだが、それゆえに「もう隠さなくていいんだ」という解放感を得られるようにも思う。ぜひ、観た者同士で思いのたけを語り合っていただきたい。