逸木裕「彼女が探偵でなければ」 次代を担う作家が示す最高到達点、単純な二項対立にしない物語の厚み
心をもっていかれる文章の美しさも
雑誌掲載作はもう1つある。巻頭の「時の子」がそれだ。これは「小説 野性時代」特別編集2023年冬号に発表された。これがまた、傑作だったのである。「陸橋の向こう側」と同等か、それ以上に凄い短篇だ。 「時の子」の主人公九条瞬は、時計職人の父・計介と一緒に暮らしていた。60日前まで。その日に計介が心筋梗塞で急死したため、ひとり残されてしまったのである。父の開いた時計店に住み続け、時計の手入れや修理をして暮らしている。森田みどりが店にやってきて、瞬と知り合う。彼女はかつて計介から仕事の礼として時計を貰っていた。その修理を依頼に来たのだ。初対面の2人が話しているうちに、瞬が自分にまつわるちょっとした出来事を打ち明けるまでの会話が実に自然でいい。 この作品の美点は、ぽつり、ぽつりと語られるところである。瞬は能弁な主人公ではなく、むしろ他人とのつきあいを避ける傾向にある。幼馴染の岩崎美桜と交際したこともあったが、その性格ゆえにすぐに別れてしまった。そんな彼が、べらべらと自分について話すのはおかしい。だから断片的にしか情報は出てこないのだ。 「目が覚めてから最初にすることは、部屋の電灯を消すことだ」という冒頭の1行を読者は見て、おや、と思うだろう。点ける、じゃないのかと。それは瞬がみどりに話す出来事に起因する習慣なのである。その会話に到達するまで、読者は宙ぶらりんの感覚のまま放置される。途中で瞬に母親が電話をかけてくる。計介が死んだため、瞬は彼女と同居することになっているのだ。電話の中で母親は言う。「今度こそ、普通の家族になろうね」と。この言葉の意味も、ずっと後まで放置される。こうした要素が積み重なり、サスペンスを醸成していくのである。 ひとつの発見によって世界が転覆されるような感覚を味わわせるタイプのミステリーだ。綺麗に反転するだけではなく、後に余韻を残す。ネタばらしになるので曖昧に書くが、人間観をひっくり返すタイプのミステリーは、単純な二項対立になっていることが多い。それまで悪だと思っていた相手が、実は善人だったというような。そうした単純化に陥らず、他人を理解するとさらに複雑な心理が見えてくるという構造がいい。 さらに言えば描写、表現もいいのである。たとえば瞬がみどりから、父の試作品である時計を受け取る場面では、その無駄のない機能美の構造が「風の中に手を突っ込んで、そこから抜き出したような時計」と書かれる。この、文章の美しさにも心をもっていかれた。最高到達点、と言いたくなる理由、わかってもらえるだろうか。 2篇に触れただけで、書き下ろしの3篇に言及する余裕がなくなってしまった。それだけ充実した作品だったということでお許し願いたい。残り3篇ももちろん素晴らしいのだが、中でも「太陽は引き裂かれて」に脱帽させられた。現在社会問題となっている埼玉県川口市のクルド人排斥が扱われていて、差別感情を煽る落書き犯をみどりの後輩である須見要が追うことになる。ここでも単純な二項対立で世界を理解しないという逸木の姿勢が通されており、複数のミステリー技巧による演出が厚みのある物語創出に貢献している。これも雑誌に発表されていたら、年間アンソロジーに採りたいと思ったはずだ。 逸木裕は2016年に「虹になるのを待て」で第36回横溝正史ミステリ大賞(当時)を受賞し、改題した『虹を待つ彼女』(角川文庫)でデビューを果たした。新人のときからこなれた書き手ではあったが、ここまで成長するとは正直思っていなかった。不明を恥じる。この後も、とんでもなく化ける可能性がある。2023年末に発表した長篇『四重奏』(光文社)も良作であった。次代を担う作家として逸木裕の名はぜひご記憶願いたい。 (文:杉江松恋)
朝日新聞社(好書好日)