プレステ30周年 「100%失敗」から逆転 覇権を決定づけたFF、ドラクエの電撃移籍
ソニーの家庭用ゲーム機「プレイステーション(PS)」が1994年12月3日に発売されてから30年が経った。PSは現行機である「5」までの歴史の中で、当初は玩具として扱われていたゲーム機を、性能アップやインターネットとの融合により、大人も楽しめる娯楽に進化させた。だが当初、ゲーム業界では新興のPSが成功できるか、懐疑的な見方が強かったという。ゲームメディア「ファミ通」によると、歴代PSで販売本数の多いゲームソフト上位10タイトルのうち、「ファイナルファンタジー(FF)」と「ドラゴンクエスト」が計7本を占めることから、PSが大きなシェアを奪った原点は、それまではいずれも任天堂のゲーム機向けに独占的に販売されていた両シリーズを〝獲得〟できたことにあるといえそうだ。 【画像】東京ゲームショウで公開された「プレイステーション5プロ 30周年アニバーサリー リミテッドエディション」 ■3DとCD-ROMを武器に 「お止めなさい。100%失敗しますよ」。初代から3までのPS開発を主導した久夛良木(くたらぎ)健・元ソニー副社長は今年9月の東京ゲームショウ基調講演で、初代PS発売前、ソフトメーカー関係者に開発を止めるように〝助言〟されたと打ち明けた。93年に100社近いメーカーを訪れ、新しいゲーム機の構想を説明して意見交換したときのことで、ほとんどの会社が「塩対応」だったという。久夛良木氏は「ソニー社内ですら誰も成功すると思っていなかった」と言い切る。 しかし、久夛良木氏の信念が揺らぐことはなかった。「テクノロジーは20~30年、すごい勢いで進化する。それを皆で引っ張っていくという熱い思いがあった」と強調した。 関係者もゲームの未来に大きな希望を持てなかった当時の状況を打ち破る〝武器〟としたのが、3D(三次元)を表現する描画性能の高さと、記録媒体(ソフト)に容量の大きいCD-ROMを採用したことだ。発売前の技術説明会では、立体的に表現された恐竜が歩き、咆哮するなどの映像を見て、参加したメーカー関係者の席は静まり返ったという。久夛良木氏らは「受けなかったか」と落胆したが、後に、関係者は映像の質の高さに衝撃を受け、言葉も出なかったことを知る。久夛良木氏は「翌日から電話が鳴りっ放しになった」と振り返る。 そして94年12月。発売日前日に関係者を招いた「前夜祭」を開催した後、東京・秋葉原で久夛良木氏が見たのは、真冬の寒さの中、量販店の前にできた長蛇の列だった。「感動した。これからロックコンサートが始まるぞ!という感じだった」。