メルケル回顧録で振り返る「激動の16年間」
11月26日、ドイツのアンゲラ・メルケル前首相が「自由(Freiheit)」と題した回顧録を公表した。同氏がウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟に反対する理由など、貴重な証言も含まれている。だがドイツの論壇では「自己批判が少なく、過去の決定を正当化しようとする態度が目立つ」という声も聞かれる。 ***
CDUの異端児がドイツ初の女性首相に
736ページの回顧録に刻まれたメルケル氏の道程は、波乱に満ちている。1954年にハンブルクで生まれたが、牧師だった父親が家族とともに社会主義国・ドイツ民主共和国(東ドイツ)に移住したため、メルケル氏は東ドイツで教育を受けた。東ドイツでは物理学者として、物理化学中央研究所で勤務した。 メルケル氏は1989年のベルリンの壁崩壊後、東ドイツの民主化を目指す新政党「民主主義の出発」に加わり政界に飛び込んだ。その後1990年に西ドイツの政権党だったキリスト教民主同盟(CDU)に入党する。メルケル氏は統一を実現したヘルムート・コール首相(当時)の目にとまり、連邦政府の婦人青年大臣に抜擢される。コール氏は「西ドイツ主導の統一」という印象を薄めるために、旧東ドイツ人を閣僚に加えたのだ。一種の頭数(あたまかず)合わせである。 メルケル氏は、CDUの保守本流に属する政治家たちから「コールのお嬢ちゃん(Kohls Mädchen)」とか「社会主義圏から来たウズラ(Zonenwachtel)」と揶揄された。その異端児が、CDUのベテラン政治家たちを押しのけて、幹事長、党首、首相の座に就いたのだ。ドイツ政治史の中で極めて稀なケースだ。 皮肉なことに、メルケル氏の急激な上昇の起爆剤となったのは、同氏の恩人コール元首相の政治スキャンダルだった。 CDUは1998年の連邦議会選挙で敗北し、野党になっていた。メルケル氏は1998年にCDU幹事長に就任したが、その翌年コール元首相が現役時代に、闇献金を受け取っていたことが発覚し検察庁が捜査を始めた。コール氏だけでなく、CDUの一部の幹部も闇献金の授受に関わっていた。メルケル氏は、闇献金問題の徹底的な解明と党の金権体質の改善を要求し、自分を引き上げてくれたコール氏と訣別した。 メルケル氏の路線はCDU内で支持され、同氏は2000年にCDU党首に選ばれた。2002年にメルケル氏は、当時連邦議会の院内総務だったフリードリヒ・メルツ氏(現CDU党首)を更迭し、自分が就任した。その後メルツ氏は一時政界を去り、米国の投資銀行に就職。この経験のため、メルツ氏は今もメルケル氏を嫌っている。 メルケル氏が率いるCDUは2005年の連邦議会選挙で勝ち、同氏はドイツ初の女性首相に就任した。メルケル氏の任期は、16年間続いた。その任期はコール氏に比べて9日間短いが、年数ではタイ記録である。 メルケル氏は首相在任中に、2007年のサブプライム住宅ローン危機と翌年のリーマンショックから始まるグローバル金融危機、ギリシャ政府の粉飾決算(2009年に発覚)が発端の欧州債務危機、日本の原子炉事故(2011年)が引き金となった、脱原子力加速、ロシアによるクリミア半島併合(2014年)、難民危機(2015年)、コロナ禍(2020年)など様々な危機を経験した。このためメルケル氏の回顧録は、様々な危機に直面して、同氏がどのような判断を下したかを知る上でヒントを与えてくれる。