美輪明宏「10歳の時、長崎で原爆投下の被害に。16歳で〈銀巴里〉へ。奇跡のような出会いを得て、88歳」
『婦人公論』の連載「美輪明宏のごきげんレッスン」で、珠玉の言葉と美しい書を届けてくださっている美輪さん。昨年88歳を迎え、半生を振り返ります。 (撮影=浅井佳代子 構成=篠藤ゆり) 【写真】絵画のように美しい美輪さんの立ち姿 * * * * * * * ◆朝起きたら庭の草花と会話して 2023年5月に米寿を迎えましたが、とくにお祝いはしませんでした。88歳になったからといって、めでたいことはないですよ。物価高の折、「お花を贈らなければ」などと気を使わせるのも申し訳ないでしょう。 それに、世界に目を向けると戦争で苦しんでいる方もたくさんいるのに、お祝いの会などで贅沢する気持ちになりません。私たちはご飯を食べられるし、逃げまどわなくてもすんでいます。平和であることに感謝しつつ、誕生日もひっそりと過ごしました。 日々の生活は、至極平穏です。朝起きると窓もドアも開け放ち、外の空気を取り入れます。そして庭の草花、木の精霊、金神様、水神様、龍神様に話しかけるのです。 「おはようございます。悪霊、死霊、生霊、怨霊、病魔を退散させ、エネルギーをくださって、どうもありがとうございます。また今日もよろしく」と。 そうすると、ふわ~っといい風が入ってきます。皆さんちゃんと、応えてくれるのですね。寝るときにも必ず、「今日もご苦労さまでした。今夜も守ってください」とご挨拶してから、枕元の灯りを消します。
◆「銀巴里」で出会った綺羅星のような天才たち 私は10歳のとき、長崎で原爆投下の被害にあいました。その影響もあって、決して身体が丈夫ではありません。それなのにこの歳までずっと表現者でいられたのは、奇跡のようなものです。 中学時代に音楽に目覚め、オペラ歌手を目指して上京し、音楽高校に入学しました。その後、実家と絶縁したため高校を中退。銀座にあったシャンソン喫茶「銀巴里」のオーディションを受け、歌い始めたのは16歳の時です。 そのうちファンが増え、江戸川乱歩さんや川端康成さん、三島由紀夫さん、安岡章太郎さん、吉行淳之介さん、大江健三郎さん、寺山修司さんなど、綺羅星のような天才たちが聴きに来てくれるようになりました。 なかには、中原淳一さんなど画家もいました。ある日、銀座を歩いていたら東郷青児さんが5、6人のお供を連れて歩いていらして。その中の1人が、「きみ、きみ。先生が会いたいと言っている」と私を呼びに来ました。 聞けばモデルになってほしいということでしたが、私は当時、ほかの画家のモデルを務めていたので、「仁義に反します」とお断りしたのです。東郷さんはそれでもお怒りにならず、「銀巴里」に唄を聴きに来てくださいました。