親分肌・和田アキ子は今や「ノンデリカシー」 山本圭壱の第1子の名前を漏らしてしまった理由とは
アッコさんの行動は昔なら「親分肌」でも今は「ノンデリの大迷惑」?
山本さんの家族は子どもの名前を明かすことに慎重だったにもかかわらず、アッコさんは「素敵な名前や由来を世間に知ってもらうことは、自分だったらうれしい。だから山本さんたちもうれしいだろう」という勝手な決めつけにもとづいてしゃべってしまったようにうかがえる。そしてこの自分と他人の価値観を同一視する考え方が、アッコさんが今まで「ご意見番」として持ち上げられてきた理由であり、なかなか失言を止められない理由でもあるのではないか。 「自他境界があいまいな人」と言うべきだろうか。例えば、頼んでもいないのにあれこれ贈り物をしたり人を紹介したりお節介を焼く。他人がされたことを見て、自分のことのように心を痛めて怒る。アッコさんに見られる、そういった傾向、態度はかつてなら、「人情深い親分肌」として、尊敬されていたはずだ。アッコさんの場合はそれが顕著だったからこそ、芸能界のご意見番として重宝されてきた。アッコさんに限らず「後輩の面倒見がいい人」というパターンには少なからず、こうした「自他境界があいまいな人」が多く含まれていただろう。 アッコさんは著書『おとなの叱り方』でも、人に踏み込むことの重要性を説いている。不良だった自分が人を叱るなんておこがましいが、今の時代は“いい人”に見られたいと見て見ぬふりをする大人が多いのでは、と疑問を呈し、それはいい人ではなく、他人に無関心で愛情が薄い人間、自分は「お前、それ違うだろッ!」と言える大人でありたい、と書いていた。 しかし現代では、一歩間違えれば「距離感をわきまえない人」になりうる。明らかな犯罪行為を叱るならまだしも、先日の五輪選手への「トド発言」しかり、容姿や子どもの名前なんて他人があれこれ言うのは、最もはばかられるもの。いくら愛情深く褒められようとも、話題にしてほしくないという人は少なくない。芸能界の常識は世間の非常識と言われるが、子どものプライバシーよりも優先される芸能界の常識なんておかしいと、タレントたちが一番思っているに違いない。 もちろん、アッコさんも手探りで変わろうとしている部分も見受けられる。「こう言うと怒られるかもしれないけど」という枕詞を使ったり、先日はラジオでスタッフに言った軽口を謝ったりしていた。もう昔ほど、酒や暴力がらみの「ヤンチャ」自慢もしない。 でも、混乱もしているだろう。やっちゃいけないことはよく分かった。けれども、人に良かれと思うことをやってもダメなの? と。今までは「姐御肌」と褒められていたのに、今は「デリカシーが無い」とけなされるなんて、と。