入浴料「大人550円」都内銭湯が4年連続で値上げ…銭湯を衰退から守る「規制」の“意外な歴史”とは
昭和30年(1955年)当時は「銭湯が増えすぎて不衛生になるのを防ぐ」ため
まず、古いほうの最高裁昭和30年(1955年)1月26日判決はどのような内容のものだったか。 福岡県に住む被告人Aは、県知事の許可を得られなかったにもかかわらず公衆浴場を営業したことにより、公衆浴場法違反の罪で起訴された。Aは訴訟のなかで、公衆浴場法の距離制限規定は営業の自由を保障する憲法22条に違反し無効なので、自身は無罪だと主張した。 この事件で、最高裁は距離制限を「合憲」と判断して、Aを有罪とした。その理由を整理すると以下の通りである。 ①公衆浴場の設置を業者の自由に任せると、偏在、乱立のおそれがある ②偏在すると、多数の国民が不便を被る ③濫立すると、浴場経営に無用の競争を生じ、経営が不安定になり、浴場の衛生設備の低下等につながる ④このようなことは、国民保健および環境衛生の上から、できる限り防止することが望ましい つまり、公衆浴場の距離制限は「国民保険および環境衛生」を目的としており、「銭湯が増えすぎて競争が激化し、もうからなくなって経営が不安定になり、衛生設備が低下する」ことを防ぐための規制だとした。 1955年頃といえば、風呂のない住宅が多く、銭湯へ行く人が多かった時代である戦後の人口の急激な増加ともあいまって、銭湯が増えていたことが推察される。 【図表2】は全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会(全浴連)が発表している組合加入銭湯数の推移のグラフである。昭和30年(1955年)のデータはないが、銭湯の数は昭和33年(1958年)時点で9698。昭和43年(1968年)のピーク(1万7999)に向け、増加傾向にあったことがみてとれる。 このような社会情勢の下では、「銭湯が増えすぎる」⇒「過当競争になる」⇒「もうからなくなり経営が不安定化する」⇒「衛生設備が低下する」という理屈にも、一定の説得力があったといえる。
過当競争がなくなっても「距離制限」は”合憲”…そのワケは?
しかし、その後、銭湯の数は昭和43年(1万7999)をピークに減り続けている。「過当競争」のおそれはなくなったといってもいい。「距離制限」は役割を終えたのではないか? ところが、上記の判決から34年後に出された最高裁平成元年(1989年)1月20日判決は、距離制限を「合憲」とした。どのような内容だったか。 大阪市に住む被告人Bは、公衆浴場の営業許可申請が不許可となったにもかかわらず市内で公衆浴場を営業し、公衆浴場法違反の罪で起訴された。Bは訴訟のなかで、公衆浴場法の距離制限規定が、営業の自由(憲法22条)を侵害し憲法に違反するとして無罪を主張した。 この事件でも最高裁は距離制限を「合憲」としたが(Bは有罪)、その理由付けは、昭和30年判決と大きく変わっていた。整理すると以下の通りである。 ①家に風呂がなく公衆浴場に依存している住民のため、公衆浴場を維持・確保する必要がある ②公衆浴場の経営が困難になっており、業者が廃業や転業をするのを防ぎ、健全で安定した経営を行えるようにする必要がある ③そのための手段として、距離制限には十分な必要性と合理性が認められる 銭湯の数が減り続けている決定的な要因は、風呂のある家が一般的になり、銭湯のニーズが減ってきていることである。銭湯業者は零細な家族経営が多く、経営体力も強くはない。経営が困難になれば廃業・転業せざるを得なくなる。 しかし他方で、風呂のない家に住む人にとっては、銭湯は依然として日常生活に必要不可欠なインフラとなっている。そして、風呂なしの家は、風呂がある家と比べて家賃が大幅に安いため、もっぱら経済的弱者の人々が選んで住む傾向にある。 したがって、そのような経済的弱者の人々のために、銭湯が経営困難に陥らないようにして、廃業や転業を防ぐ必要があるというのだ。 現在では、この平成元年(1989年)最高裁判決が、公衆浴場の距離制限に関する一応のリーディングケースとされている。