「人間が人間に知識を教えることの価値がものすごく減っている」教員採用の合格者7割が辞退…教育現場どうアプデ?
■「知っている」だけでは尊敬されなくなった教員
これまでの教員像と言えば、子どもにとってはどんなことでも知っている「知識人」「常識人」であり、それゆえに「先生」と呼ばれて尊敬もされてきた。ところが近年では、インターネットの発達により、その場の教員よりも専門性の高い知識を、動画というわかりやすい形で広める人々が増え、またそれを目にする子どもも急増した。 藤原氏は、このネットの発達が教員減の本質だとした。「そもそも人間が人間に対して、知識を教えることの価値がものすごく減っている。だから、それだけでリスペクトされることがなくなっていく。今、小学生でも中学生でもGoogleで検索する。そうすると、最初にAIの答えが出てくる、そういう時代だ。当然ネットに触れれば、小学生でも中学生でも、世の中のことにどんどん触れる。お父さんや先生が世の中の情報を独占して、それを家、あるいは学校という閉じた場で無条件に尊敬される時代はもう終わった」。教員でさえ、教室という空間で一番の物知りという認識が崩壊してしまった。 子どもだけでなく、親からの教員に対する尊敬の念も、一昔前と比べれば大きく様変わりした。モンスターペアレンツの問題も、その一端だ。「非常にはっきり言うと、昔は師範学校を出た教員の方が、親より学歴が高かった。それが1970年代ぐらいから逆転したのではないか。保護者で、非常に意識が高い人の学歴の方が高くなり、教員をなめてかかる人もいる。何かあると弁護士を連れてきたり、ネットで攻撃する人もいる。そういう人と教員が戦うのは、すごく厳しい」と実情を説明。「ちゃんと仕切りをつけないと、どこまでニーズに応えればいいのかというのは、とめどなく来る。文科省が教員の仕事をはっきりして『こういう仕事はやらなくていい』と言うべき」とした。
■今後の教員に求められるものは
多忙かつ児童・生徒、さらに保護者からの尊敬も減退してきた中、今後の教員はどう動いていくべきか。藤原氏は、むしろ大量に溢れる専門的な動画を、教育現場に取り込むべきだと提案する。「僕はもっと教室の中で、動画を利用すればいいと思う。1人の教員が生身で1人の児童・生徒に向き合って、知識を100%教えるということは諦めて、それを半分くらいにして、さまざまなオンライン上の先生を自分の味方につけて、それを一緒に教えればいい。スポーツも地域には野球好き、サッカー好きな大人がいるので、その人に渡して、負担を減らすべきだと思う」。 “外の力”を積極的に使う中、教員だからこそ学校で担えることは何か。「学校の先生は何かに興味があって、それを本当に一生懸命学んでいることがあれば、そのオーラが出ると思う。そもそも小学校の先生が全教科をやるのは無理。自分の得意なところ、例えば社会科、歴史が大好きで、それを嬉々として教えれば、それは子どもにも伝わる」と、学びの楽しさを伝えることを挙げた。また「基本、学校は良い学習習慣と良い生活習慣をつける場所で、そういう装置だと割り切った方がいい。小学校の低学年なら生活習慣、中学や高校になると学習習慣の方が重い。それから学校は人が集まる場なので、人が集まらなければできないことにどんどんシフトしていくべき。知識の伝授はどんどんオンラインにいっていいと思う」と述べた。 その先にある目指すべきものは、自律的な学習者を育てることだと藤原氏はいう。「世の中が複雑で、多様化しすぎているから、何に向かうかはそれぞれ。自分で興味が向いた時に調べたり、課題解決したりできる、自律的な学習者を育てるしかない」。そのためにも、教員側の改善は急務だ。「知識を一人の人間が全部持っていて、それを教え込めるとも思わない方がいいし、そこはチームであたった方がいい。とにかく学校の教室では、15分でもいいから最高の教員のビデオを見せることをもっと組織的に、文科省がこれはやりなさいと言わなければダメ。事務処理を半減させることも、文科省がスパッと通達するべきだ」と語っていた。 (『ABEMA Prime』より)
ABEMA TIMES編集部