「僕が僕を放棄したら僕が消える」田原俊彦、キツい時期もあった45年間でも今は右肩上がり
グループでデビューしたら?3年で解散するよ(笑)
最初に人気が出たのはドラマの『3年B組金八先生』でしたね。 「そう。『金八先生』がなけりゃ、俺らなんてチャンスをつかめなかったと思うし、運とタイミングだよね。(1979年の)7月くらいに生徒役の話がきて、事務所から10人くらいオーディションに行ったのかな。たまたま選ばれたのが僕、マッチ(近藤真彦)、ヨッちゃん(野村義男)というタイプの違う3人。もう8月には荒川の土手でロケが始まってたよ。 最初はあまり期待されていなかったけど10月から放送が始まると視聴率がよくて、雑誌の『セブンティーン』が俺らを“悪ガキトリオ”ってフィーチャーしてくれた。どんどん人気が上がって時代の流れに乗れたよね。 その『金八』が終わって、(1980年)5月の『ただいま放課後』っていうドラマから“たのきんトリオ”って名前になった」 3人の先頭を切って1980年6月にソロデビュー。 「やっぱり一番年上だし、まず僕で勝負でしょ! 僕が最初に出てってマッチもその気になった。それぞれソロで出ていくんだよね。 この性格だから、絶対にグループは嫌だった。僕がグループやったら3年で解散するよ(笑)。レッスン生のころから“グループは嫌です”と。俺らが最後のソロだよね。それからグループ、グループ、グループだもんね(笑)」 今日の衣装は赤。やっぱり赤が似合います! 「デビュー曲が“赤い薔薇投げ捨て~”だから。子どものときから好きでしたよ。情熱の赤っていうし、エネルギーをもらえるし、なにより目立つ。ヒーローも赤。赤ってセンターじゃん。 (たのきんトリオでも)僕が赤でマッチは黄色かな。信号じゃないけどさ、赤青黄色だったからね」
ファンの方が赤い下着をたくさん贈ってくれるそうですね。 「そうだね、だいたい赤いねぇ(笑)。下着とかTシャツとか、自分ではほとんど買わない。パンツに関しては一度も買ったことないんじゃないかな。もう一生分くらいあるの。ぜんぶファンの人がプレゼントしてくれるのよ(……と言いながらめくって見せてくれる。ベルトラインに赤くブランドのロゴが入っていました!)。 ステージ衣装でも必ず赤は着るし、やっぱり赤だとみんな(気分が)ガッと上がるっていうのはあるみたい。しかも、もうこんなジジイになってんのにさ、俺が『ハッとして!Good』とか歌うとそのころの顔に見えたり、お客さんも中学生とか高校生に戻ってウワーッって高まる」 めちゃくちゃ楽しいですね! 「だって、やるっきゃないから。僕が僕を放棄したら僕が消えるわけだから。絶対に消えたくないじゃん。だから毎年シングル曲を出すし、コンサートも頑張る。 で、お客さんは必ず見てるから。いいものを作って、いいステージをやれば“トシちゃん頑張ってる。来年も来たい!”って。そう思わせるのが、田原俊彦の役割っていうか真骨頂なんで」 45年の間には、きっとキツい時期もありましたよね。 「一時はね……。テレビで育った人間がテレビからいなくなって、集客力も落ちたしね。いろんな意味で厳しかったけど、ファンのみんなも結婚したり、僕と同じように子どもができたり、環境が変わったってのもあったと思う。 逆にここ5年ぐらいはファンクラブも右肩上がりなの。今の言葉で言うと推し? みんな子育てが終わったり、自分の時間を持てるようになって“あれ、トシちゃん、頑張ってるな”って気がつくんだろうね。 これは僕としては大チャンス。なので“トシちゃん進化してるやん。歌もめっちゃ歌えるやん。踊りもまあまあやるやん”ってところを見せないとね。 この先には50周年もあるし、なんとなく70歳までは見えたかなって気がしています!」 全国19都市20公演のコンサートツアー 「45th ANNIVERSARY TOSHIHIKO TAHARA DOUBLE 'T' TOUR 2024 愛だけがあればいい」が7月20日からスタート