中村橋之助の初主演映画『シンペイ 歌こそすべて』作曲家・中村晋平の18歳から亡くなる65歳までを演じる「舞台と映像、根本の部分に違いはない」
三代目中村橋之助(現:八代目中村芝翫)と、‘80年代にアイドルとして大活躍した三田寛子の長男として生を受け、5歳で初舞台を踏んだ4代目中村橋之助。29歳にしてすでに2度の大きな転機があったという若手歌舞伎俳優のTHE CHANGEとは――――【第3回/全3回】 ■【画像】中村橋之助の初主演映画『シンペイ 歌こそすべて』での迫真の演技 4代目中村橋之助の初主演映画となる『シンペイ 歌こそすべて』は、大正、昭和に『シャボン玉』や『てるてる坊主』といった童謡から、盆踊りの定番曲『東京音頭』まで、ジャンルを超えて数々の名曲を世に送り出した作曲家・中山晋平の生涯を綴る作品で、橋之助は晋平の18歳から亡くなる65歳までを演じる。 「一番馴染みがあったのは、やっぱり『東京音頭』。でも、映画で描かれている、出だしが民謡『おはら節』にインスパイアされたものだということは知りませんでした。演じながら、とてつもなく秀でたセンスと才能を持った作曲家だったのだと、改めて感じましたね」 歌舞伎俳優として5歳から舞台に立ってきたが、映画は初出演にして初主演。歌舞伎と映像の違いに戸惑うことはなかったのだろうか。 「舞台と映像、両方やっている俳優さんはみなさんそうだと思うんですけど、演じるということの根本の部分……役の人物としてそこに存在するというところに違いはないと思っています。でも、表現するにあたってのテクニックには、やはり違いがあると感じてました。そういった意味では、ぼくは映像の世界では新人。よく“稽古場で恥をかくのは恥ずかしいことじゃない”と言いますが、それと同じで、わからないことは聞いて、いろいろな方から吸収していこうという気持ちで撮影にのぞみました」
晋平の仕事の仕方に共感できたし、勉強になりました
俳優として、作曲家・中村晋平に共感できたところは? 「俳優は、脚本家や演出家の意図をくみ取って表現する仕事だとぼくは思っています。一方、中山晋平という作曲家は、作詞家の意図をくみ取って作曲をした人。だけどそれだけじゃなく、あえて意図から外すこともするんですね」 たとえば、晋平は舞台女優・松井須磨子のために作曲した『カチューシャの唄』では、作詞家が書かなかった「ララ」というかけ声のような言葉と音を足して、曲全体を引き締めた。 「それが成功したのは、晋平が作詞家の意図をきちんと理解した上でアレンジを加えたからなんです。俳優も、作品の中での立ち位置だったり、どういう意図があってこのセリフがあるのかをしっかり理解した上で、必要な場合はあえて外した方いい場合もある。ですから、晋平の仕事の仕方に共感できたし、勉強になりました」 中山晋平は、故郷の母からの「母ちゃんが歌える歌をいっぱい作って」という言葉を胸に、曲を作り続けた。橋之助は、母から受け取った言葉はあるのだろうか。 「子どものころから、母は何かあると手紙をくれるんです。夜、叱られてケンカになり、ふてくされて寝たら、翌朝必ず手紙が置いてあるんですね。“”昨日はきつい言い方になったけど、お母さんはクニにこういうことをわかってほしくて叱ったんだよ』みたいなことが書いてある。今でも、何かあると短い手紙をくれることがあって、素直に嬉しいですね。この言葉が……というより、そんなふうに子どもたちと関わってくれる母なんですよ」 母のことを語りだすと、俳優から息子の顔に変わる。 「ぼくは、母のことがすごく好きですね。何ごとも一生懸命にやるし、ぼくたち息子だけじゃなく、成駒屋全体に深い愛情を注いでくれる。でも、おっちょこちょいで不器用(笑)。やっと最近、親孝行をいっぱいしていきたいな、と思うようになりました」 大好きな母、尊敬する先輩でもある父、共に手を携えてこれからの歌舞伎界を引っ張っていく弟たち。 中村橋之助は、家族と、そして歌舞伎こそすべてなのだ。 中村橋之助(なかむら はしのすけ) 1995年12月26日、東京都生まれ。2000年9月、歌舞伎座で初代中村国生を名乗って初舞台を踏み、2016年10-11月歌舞伎『一谷嫩軍記』で4代目中村橋之助を襲名。2009年1月に国立劇場特別賞、2015年3月に国立劇場奨励賞を受賞。歌舞伎舞台のほか、『オイディプスREXXX』(2018年)『ポーの一族』(2021年)『サンソン-ルイ16世の首を刎ねた男-』などのミュージカルにも出演。『2019年に『ノーサイド・ゲーム』で襲名後初のテレビドラマ出演。2025年1月10日公開『シンペイ 歌こそすべて』で映画初出演にして初主演。 工藤菊香
工藤菊香