【ラブレターズ・1万字インタビュー後編】第七世代ブームの裏で低迷し続けた6年。脱出のカギは「おじさんであると受け入れたこと」
同世代の芸人たちが次々と辞めていく中で生まれた『光』
──低迷期は何を支えにして、続けてこられたのでしょうか。 塚本 南海キャンディーズの山里(亮太)さんやオードリーの若林(正恭)さんがラジオで僕らのことを話してくれたり、佐久間(宣行)さんやテレビ東京の板川(侑右)さんが番組に呼んでくれたり、沈みそうになると「ここでやめたらダメだ」と思えるようなことが起きるんですよね。 溜口 2015年と2016年には、かもめんたる・さらば青春の光・ラブレターズの3組で『円山スクランブルエッグス』というユニットコントをやったりね。 塚本 そういうことが息継ぎになって、どうにか沈まずにすみました。息継ぎが一回でも少なかったら沈んでたと思います。あの時期、つらかったのは僕らだけじゃなく、第七世代ブームの裏で、一緒にライブハウスでネタをやっていた同世代のコンビも不遇の時代で、みんな次々に芸人を辞めていったんですよ。残ったのはウエストランドとラブレターズくらいで。 溜口 僕らが辞めなかったのは、毎年のように手応えのあるネタができていた、というのも大きいですね。売れてはないし、そんなに人気もないけど、新しくできたネタだけは手応えがあったんです。 塚本 それこそ、どんぐりをぶちまける『光』というタイトルの『キングオブコント2024』で優勝したネタは、この時期、2017年の単独ライブで披露しているんです。なので、作風とか好きなものが変わったわけではないんですよ。 溜口 変わったといえば、その2017年の段階では、僕ら32歳とかなので、まだフレッシュな若手のつもりでネタやってるんですよね。 塚本 年齢的に若手でもなく、かといっておじさんの風格もない、中途半端な32~35歳くらいが一番きつかったかもしれないです。 溜口 それが35歳を過ぎた2020年くらいから意識が変わってきたのかな。
塚本がパイプ椅子を投げつけ「槙尾になれよ!」
──つらかった時期に、おふたりの間で関係性の変化などはありませんでしたか。 塚本 バラエティでなかなか活躍できないときとかに、溜口さんのおもしろさをわかっているからこそ、溜口さんがもっと必死になってポテンシャルを発揮してくれれば、もっとちゃんとハネるのに、とかは思ったことはありましたね。でもそれは、本当にそう思っているのではなく、先の見えない真っ暗なトンネルの中にいたので、メンタルがおかしくなっていたからで。 溜口 一度だけ大げんかしたことがあって。単独ライブの1週間くらい前、もうネタの変更ができないタイミングで、僕が「ここはこうしたほうがいい」とかっていろいろ注文したら、塚本さんがパイプ椅子を投げつけて、「槙尾になれよ!」って。 塚本 かもめんたるの槇尾(ユウスケ)さんのことです。槇尾さんは(岩崎)う大さんに従順なので。 溜口 それで僕も反省して、ネタは塚本さんに任せようって決めて。 ──7年ぶりに決勝進出した『キングオブコント2023』は、もうここで優勝するしかない、という心持ちで? 塚本 はい、めちゃめちゃ優勝する気でした。 溜口 ラストチャンスくらいの気持ちで行きましたから。 塚本 でも結果は6位でした。 溜口 ただ、2023年の『キングオブコント』は、優勝こそできなかったけど、風向きは変わったんですよ。大会ではないけど、『ラヴィット!』(TBS)の「耳心地いい-1グランプリ」という企画で準優勝したり、『ゴッドタン』(テレビ東京)の「ネタギリッシュNIGHT」で優勝したり、なぜか勝てるようになって。 塚本 今までそんなことなかったのに、2023年はやたら番組の企画で優勝とか準優勝できるようになったんです。 溜口 企画で優勝するってことは、番組で活躍できたってことだから、それでだいぶ勢いがついて、2024年の『キングオブコント』に向かえました。 塚本 『キングオブコント2024』のときには、もう自分たちがおじさんであることを完全に受け入れて、その上で夫婦の役を演じていたので、ネタ自体は同じでも、仕上がりの質感が2017年とはだいぶ違っていて、そこもプラスになってね。 溜口 あとは、塚本さんが持ち味であるキモさをだいぶ自分でコントロールできるようになってきたのも、ひとつ前進したポイントなのかなとも思います。まわりにもキモいキャラとして認知されて、自分でもだいぶ認められるようになって。 塚本 ほんとはそこまでキモいと思ってないけどな……。