「指導者として渡米も経験や実績がまったく通用せず」村主章枝の新たな挑戦「ゴジラでさえ何十年もかかったので」
2度のオリンピックを経験し、独特の世界観を表現したスケーターとして注目を浴びた村主章枝さん。しかし、アメリカに行くとそんな経験はまったく通用しませんでした。だからこそ、新たな挑戦が楽しいそうです。(全4回中の4回) 【写真】「艶やか」引退後も抜群のプロポーションを保つ村主章枝さん(全15枚)
■現役引退を決意させた「ある依頼」 ── 2度のオリンピックを経験し、33歳で引退した村主さん。多くが20代で引退するなか、長く現役を続けました。 村主さん:2014年に引退しましたが、その前から振付や指導をしてほしい打診されることが増えました。日本では、選手生活と指導は両立できないので、どちらかを選ばなければなりません。いままでたくさんの人たちに助けてもらったので、今度は指導する側として関わるべきタイミングだと思い、振付や指導をするために引退を決めました。
── いまも映画プロデューサーの仕事と並行して、指導や振付は続けているのですか? 村主さん:2014年からカナダに移り住み、スケート指導のライセンスをとりました。日本には指導者ライセンスの制度はないのですが、カナダの指導ライセンスは細かくわかれていて、私は五輪出場選手の手前までは指導できるレベルを取得しました。ラスベガスに来てからも、飛行機を乗り継ぐなどして全米各地で指導と振付を続けています。現在の生徒数は20名程度です。
■テレビ番組の企画で踊った「社交ダンス」が話題に ── 引退後、テレビ番組の企画で社交ダンスに挑戦されましたね。未経験なのに全国大会に出場され、さすがだなと思いました。 村主さん:たまたま声をかけていただき、思いきって挑戦しました。振付を覚えるときはスケートの経験が役立ち、早く覚えられました。でも、社交ダンスの動きに関しては、スケートやバレエとではまったく違いました。スケートのクセが出て、きれいすぎることもありましたし、体の使い方や足の出し方も全然違うなど、苦労もしました。でも、そのおかげで社交ダンスが大好きになったので、いまでも続けていますよ。残念ながら仕事が忙しくてパートナーと組めず、大会には出ていませんが、先生と組んでレッスンを受けています。時間ができたらもっと踊りたいですね。スケートショーにもチャンスがあったら出たいです。