佐藤・鈴木は東日本型、田中・山本は西日本型? NHKが人名バラエティー
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日本は世界的にも名字が多い国だ。その数なんと10万種類以上。「鈴木」や「佐藤」のようなメジャーなものから「勘解由小路(かでのこうじ)」「鼻毛(はなげ)」のような珍しいものまで、幅広いラインナップを誇る。 そんな数ある名字の中から「田中」にスポットを当て、名字の歴史から日本をひもとくのが、NHKの雑学バラエティ番組「集まれ田中!」(23日夜放送)。コメンテーターを務める姓氏研究家の森岡浩氏は、「『田中』は『山本』とともに西日本に多く、東日本型なのは『佐藤』『鈴木』」と語る。
なぜ日本は名字の種類が多いのか
日本で一番多い名字は何だろうか。名字をめぐるランキングはいろいろなところで出ており、過去には「鈴木」がトップだとしたものもあったが、森岡氏によると、現在では「佐藤」がもっとも多い名字として定着しているという。そして2位に「鈴木」、3位が「高橋」、4位に、今回の番組の主役となる「田中」が入り、5位は「渡辺(渡邊)」と続く。 日本人の名字は10万種類以上あるといわれている。これは世界的に見ても非常に数が多く、トップ5には入るという。その理由について、森岡氏は、明治時代に戸籍ができるまでは、人々は自分で自由に名字をつくることができたからだと説明する。また、現在は人口1億人超であるなど、人口が多いことも要因になる。 江戸時代には武士以外は名字を持っていなかった、という解説が過去にはあったが、森岡氏は実際はそうではなかったと否定する。 武士とはそもそもが武装した農民であり、兵農分離が行なわれ始めたのは織田信長以降の戦国時代後期。徳川幕府の江戸時代に士農工商が確立されるが、関ヶ原の合戦で敗れた大名の家臣の中には農民になったものもいたという。そうした農民には先祖代々受け継がれた名字があったはずで、実際に農民の名字を記した史料も見つかっている。つまり、「公式に名字を名乗る」ことが許されていなかっただけで、実際には自作農や商家など、ある程度の立場の家であれば、庶民も江戸時代以前に名字を持っていたと考えられている。