濱口竜介「AIが映画を作りはじめても、私のやることは変わらない」 新作『悪は存在しない』と独自の創作活動を語る
映画監督・濱口竜介の新作『悪は存在しない』(4月26日から全国順次公開)がヴェネチア国際映画祭の銀獅子賞を受賞した。これにより、濱口は世界三大映画祭と米アカデミー賞での受賞を果たし、黒澤明以来の快挙を成し遂げたことになる。世界が注目する独自の映画制作のスタイルについて話を聞いた。 【画像】濱口竜介「AIが映画を作りはじめても、私のやることは変わらない」 新作『悪は存在しない』と独自の創作活動を語る
音楽を“乱暴”に扱った理由
映画監督の濱口竜介といえば、巧みな会話劇を軸に濃密な恋愛や痛ましい喪失を描いた作品が思い浮かぶ。だが新作『悪は存在しない』(4月26日から全国順次公開)は、これまでとはまた違った味わいの傑作だ。 物語の舞台は、長野県の山間にある小さな街。周囲には広大な森が広がり、野生動物も生息する。斧で薪わりをして暖をとる主人公・巧(たくみ)の暮らしには温かみもある一方、冬枯れた自然に囲まれていて見る者をどこか不安にもさせる。この街に、東京の企業がグランピング場を建設しようとするのだが、物語は「都会と地方」「環境保護と開発」といったステレオタイプな二項対立を裏切る方向に進んでいく。 これまでの作品のように会話劇を楽しめる場面もあるが、極限まで磨かれたセリフは必要最小限の情報しか与えてくれず、さまざまな謎も残す。先の読めない展開と凍てついた自然の美しさに引き込まれていると、後半、張り巡らされていた伏線が次々と回収され、驚くべきラストシーンに揺さぶられる。 『ドライブ・マイ・カー』でも濱口とタッグを組んだ、石橋英子の心かき乱される音楽も印象深い。特に冒頭から鳴るメインテーマは、乾いた冬景色や作品の張りつめた雰囲気によく合っており、しかも作中での使い方に「ひとひねり」がある。石橋との信頼関係がうかがえる楽曲の使用方法について、濱口は次のように説明する。 「撮影後、編集をご覧になった石橋さんにメインテーマを作曲していただいたとき、映像に含まれているような不穏さと美しさをくみとった楽曲になっていて、『素晴らしい、作中で何度も使いたい』と思いました。ただ、この完成度の高い曲をそのまま使うと、音楽で観客の感情を操作することに近くなるとも感じました。そこで観客との距離を保つためにも、音楽をあえて“乱暴”に使うと決めました。そのほうが観客はもっとこの曲を聴きたくなるし、結果として映像と音楽の両方が生きてくるとも思いました」 この濱口の“乱暴”な使い方に対し、石橋は「大喜びした」と語っており、2人が芸術的な価値観を深いところで共有していることが感じられる。もともと本作の制作のきっかけは、石橋が濱口にライブパフォーマンス用映像『GIFT』の制作を依頼したことだった。 その後、石橋から映像制作の参考にといくつかのデモ音源を受け取った濱口は、「自分がそれまで作ってきたような、会話で感情がかき立てられて人間関係が展開していく物語や映像は音楽と調和しないと感じた」という。 そこで新たなモチーフを探そうと、石橋がよく使う山梨県の音楽スタジオに足を運んだことで大きな気づきを得た。「スタジオの周囲に広がる冬の枯れ枝の風景に石橋さんの音楽と通じるものを感じたことから、作品が発展していった」という。 そこから、山梨県と長野県の県境の地域で物語の素材を探しはじめた。石橋の友人に地元の自然について教えてもらううちに、現地で実際にグランピング施設の建設計画があったことを知った濱口は、それに着想を得て脚本を書きはじめる。こうした制作の過程を彼はこう振り返る。 「石橋さんの音楽活動そのものが、それまでアプローチしたことのない物語に自分を導き、なおかつ視覚的な要素も広げてくれた感覚があります。二人三脚というより、一貫して石橋さんに引っ張ってもらった感じです」 対象の背景を深く掘り下げるこの創作プロセスは、石橋が音楽活動の際に用いる手法でもある。石橋は、国内外で高く評価されたアルバム『The Dream My Bones Dream』(2018)を制作するにあたり、自分のルーツを知るためにかつて満州で暮らしていた祖父について調査し、それを作品に反映した。こうした制作のスタイルにも影響を受けたと濱口は言う。 「まずは(リサーチという)具体から始めて、それをものすごく抽象的な音楽に結実させていく石橋さんの創作プロセスをとても面白いと感じました。こうした作業は、『悪は存在しない』でも影響を受けた点です」