あなたの知らない札幌《サッポロビール博物館》前編 北海道ビール誕生秘話
【北海道・札幌】人口200万人の声も聞こえる北の大都市・札幌。その札幌には、多くの観光地や名物施設があります。とはいえ、札幌市民ですらそれらのすべてを知っているわけではありません。そこで「あなたの知らない札幌」と題した企画をスタート。第12回前編は、4月にリニューアルオープンしたサッポロビール博物館(札幌市東区)で、北海道でビールが造られる理由を、同館を運営しているサッポロビール株式会社のブランドコミュニケーター(同社では博物館のスタッフをこう呼んでいる)に教えてもらいます。のちの内閣総理大臣・黒田清隆に意見を申し立てた人物とは……。(取材・構成/橋場了吾)
明治時代に建てられた築120年以上の建物を増改築
サッポロビール博物館は1987(昭和62)年にオープンした、日本のビールの歴史を学べる博物館です。建物は1890(明治20)年に設立された甜菜工場(1903年にサッポロビールの前身である札幌麦酒会社の製麦工場に)を増改築して利用しています。 4月にリニューアルオープンしたのですが、その中でも一番大きく変化したものといえば、6Dシアターを設置したことです。このシアターでは、「なぜ北海道でビールが造られるようになったのか」「ビールの造り方」の2種類のミニフィルムを上映しています。(シアター上映を見るには有料のプレミアムツアーに参加が必要) 特に歴史が好きな方に好評なのが「なぜ北海道でビールが造られるようになったのか」についてのフィルムです。そのあらすじを簡単にご紹介しますと……。
村橋久成・中川清兵衛が尽力した北海道でのビール醸造
明治政府が北海道を開拓するにあたり、「お雇い外国人」と呼ばれる外国人有識者を日本に招いて、さまざまな施策を検討しました。その中のひとつに、「日本でビールを製造する」という案が出され、時の開拓長官・黒田清隆のもとプロジェクトは進められました。 そのプロジェクトの責任者となったのが、村橋久成(当時32歳)という元薩摩藩士。幕末にイギリスに留学し、その産業革命の凄さを目の当たりにしてきた人物が、日本でビールを製造するにあたり一緒に行動したのが中川清兵衛(当時27歳)というドイツ・ベルリンでビールの醸造を学んできた技師でした。 そこで一つの問題が起こります。政府はビール工場を東京に設立することを内定させていましたが、村橋が薩摩藩の先輩にあたる黒田に意見書を送ります。その内容とは「ビールは低温醸造できないと美味しくならない。東京は暑すぎるので、味を保証するのは難しい。今の日本でビールが製造できるのは北海道だけ」というものでした。当時高官に意見を申し出るなど、確実に解雇される事案です。しかし、村橋は高官たち一人ひとりを説得し、最終的に北海道・札幌に工場を設立する方針に転換され、1876(明治8)年に「開拓使麦酒醸造所」が現在の博物館から程近い場所に建設され、「日本人技師による初の国内産ビール」が翌1877(明治9)年に誕生しました。ちなみにビールの醸造に不可欠なホップは、北海道に自生していたんです。そして大麦の試験育成も成功し、北海道はビール王国になっていきます。 このような物語を見た後、シアターから展示の方へ移動するのですが、その移動するときにちょっとした工夫がありますのでその部分も楽しんでもらえればと思います。 そして展示の最初に登場するのが煮沸釜。350ml缶24万本分を造ることができる銅製の釜で、1960年代から40年近く使用されました。現在はステンレス製の釜になっているので、直径6.1m・高さおよそ10m(煙突込み)という大きさの銅製の釜が残っているのは日本ではここだけです。 2016年は、サッポロビールの前身である札幌麦酒会社の設立140周年という節目の年ですが、一時期アサヒビールさんと同じ会社だった時代もあるんです。 (後編へ続く)