「佐野元春さんはよくぞ『さよならレボリューション』って言ってくれたなって。もう70年代じゃないんだよって見せてくれた」(田家秀樹×重松清)
80年代は激しい世代交代の時代だった
重松 今回の対談に合わせて、田家秀樹と音楽シーンに関する年表を作ってきたんです。 田家 もう拝んじゃいますよ。 重松 田家さんも本の中でおっしゃってますけれど、80年代って1980年からヨーイドンで始まったわけじゃなくて、1980年というのは70年代の終わりなのか、80年代の始まりなのかっていうのはわからないわけです。 僕は、『星をつくった男 阿久悠と、その時代』という、作詞家の阿久悠さんのノンフィクションを書いたんですが、その取材の中で、作曲家の筒美京平さんが、デビュー20周年となる1987年頃に、「作曲家として区切りがついたと思ったんです。それまでは自分が時代を引っ張ってるという感覚がどこかにあったんですが、20周年の頃を境にそれが消えて」ってコメントしてるんですね。 そしてその1987年に、TMネットワークがヒットチャートで初の1位をとっている。80年代というのは、すごいペースで世代交代が進んだ時代だったんです。 田家さんはこのとき、もう40代になってて。 田家 42歳ですね。 重松 そして今に至るわけですけども、どこかでもう、もういいかっていう気持ちにはならなかったんですか? 田家 う~ん……最近ですね、それは、 重松 最近(笑)。 田家 あんまり立ち止まって自分を振り返るみたいなことはないぐらいに、次から次へとといろんなことがあって、面白かったんですよ。 90年に、僕は浜田省吾さんのツアー「ON THE ROAD '90」に全部同行したんです。全国48都市、83本。全行程スタッフ移動。それは、ニュージャーナリズム的な感じでコンサートを書きたい、という思いがあって。 ボブ・グリーンの『アメリカン・ビート』という本がすごくよくて、こういう書き方があるんだ、と。 そんなふうに、好きなコンサートを片っ端からタダで見れられた、っていうのも、立ち止まらずに仕事をしてこられた大きな要因かもしれないですね。