相川七瀬、デビュー30周年イヤー突入! “夢見る少女”だった私をスターへ導いた織田哲郎、布袋寅泰らとの交友秘話
痛快で疾走感溢れるガールズロック『夢見る少女じゃいられない』で、鮮烈なデビューを飾った相川七瀬(49)。そんな彼女が11月6日、ミニアルバム『SPARKLE』のリリースと同時に、デビュー30周年イヤーの幕開けを告げた。 【画像あり】相川七瀬の写真をもっと見る 「誰かががんばる姿を見て“よし、自分もがんばろう!”と思うことってあるじゃないですか。誰かの輝きを受けながら、自分も輝いていく。そうやって照らし合いながら、相乗効果で大きくなっていく光の玉のような歌を作りたい。それが今回のテーマです」 収録されている『Blue Star』は、2024年に26年ぶりに日本一に輝いた横浜ベイスターズの『tvkプロ野球中継 横浜DeNAベイスターズ熱烈LIVE』(テレビ神奈川)のテーマソング。『襷をつなげ』は、母校の國學院大学の駅伝メンバーに贈る応援歌。2023年12月におこなわれた箱根駅伝壮行会では、吹奏楽の演奏でこの応援歌を熱唱した。 「音楽は聴いてくれる人がどう思うかが大切だと思ってきたので、これまではできるだけみんなの意見を取り入れてきたんですけど、30周年の幕開けを飾るこのアルバムは、100%、私の主観、私の好きなサウンドで作り上げました」 30年を振り返るとき真っ先に出てくるのが、ヒットメーカー・織田哲郎との出会いだ。 「東京に出てこられたのも、デビューできたのも、すべて織田さんのおかげ。アーティスト・相川七瀬を作ったのは間違いなく織田さんですし、織田哲郎という人は私の人生のフィクサーだと思っています」 人生で初めて出会った“信用できる大人”織田と相川の関係性は、いまも変わらない。 「悩んだとき、最後に相談するのは織田さん。プロデューサーとしても、ひとりの人間としても変わらず尊敬しています」 少しだけ変わったのは――。 「10代のころより若干、私の立場が強くなったことですね(笑)。織田さんにあれこれやってほしいと言えるようになったし、2023年は、私が岡山で出演した『赤米フェスタ』という小さなフェスに、織田さんがゲストとして来てくれました」 すべてを織田から学んだという相川が、なかでも「いくら感謝してもしきれません」というのが、文章を書くことのおもしろさ、楽しさを教わったことだった。 「織田さんがつづる文章、言葉には魂と執念を感じるんですよ。もともと書きたいという欲求はあったんですが、それを掘り起こして書ける状況にしてくれたのが織田さんでした」 作詞:相川七瀬・織田哲郎と表記されたのは、1997年にリリースした7枚めのシングル『Sweet Emotion』。2004年にリリースしたアルバム『7 seven』に収録されている『ダリア~She Knows Love~』は、2009年には自ら書き下ろした小説となり、2015年には盟友である漫画家・尾崎南がペンを執ったコミックスとして発表された。 「2023年の夏、小説『ダリア』を読み返したんですけど、感動して深く考えさせられたんです。そのことを学問の師匠(渋沢寿一氏)に話したら……」 渋沢栄一のひ孫で、農学博士である渋沢寿一氏の口から語られた言葉は、思いがけないものだった。 「『過去に自分で書いたものに未来の自分が感動で震わされるなんて、こんな幸せなことはないよ。それがあなたらしさだから忘れちゃいけないよ』と言ってくださって。その言葉に、また泣きそうになりました(苦笑)」 織田に代わって、シンガー・相川七瀬に新風を吹き込んでくれたのが布袋寅泰だ。 「バラードだと思って作曲を依頼した歌詞が、バリバリのロックになって返ってきたときは衝撃でした。布袋さんらしさが爆発する感じの音楽を分けていただけたのは幸せな経験でした」 布袋の後にプロデューサーを務めたのは、L’Arc~en~Cielのプロデューサーも務めていた岡野ハジメ。 「岡野さん時代の楽曲は、かわいらしくて、軽快なロックチューンのものが多かったですね。あの当時は気がつかなかったけど、聴き返してみるとライブにぴったりのものばかりなんですよ。30周年のライブツアーでは、ファンの人も忘れてるかもしれない、そんな掘り出しものの、かわいい楽曲をやって驚かせたいです」 布袋と岡野。この2人に白羽の矢を立てたのは……織田。いまの相川に必要なピースは誰か? 考えた結果が、この2人だった。 「思っただけではなく、依頼してOKをもらってくれたのも全部、織田さん。感性も分析力もすごいし、そこまでプロデュースしてくれた織田さんには、感謝しかありません」 同じ時代を生き、闘い続けてきたアーティストからも元気と勇気をもらった。20代のころはずっと一緒だったというPUFFYの吉村由美もそのひとりだ。 「お互いに大人になりましたし、若いときみたいにベッタリ一緒にいるわけではないのですが、ふと会いたくなる。会った瞬間、昔に戻れるのが由美ちゃんですね」 次に名前が挙がったのは、T.M.Revolutionの西川貴教。 「感覚としては幼馴染みのような存在ですね。あのころはお互いに若くて怖いものがなかった(笑)。初詣に行ったりディズニーランドに行ったり、思い出が尽きませんね」 相川が“お兄ちゃん”と呼ぶのは、LUNA SEAの5人。 「リュウイチさんから交流が始まって、真矢さん、イノランさん、Jさん、スギゾーさん……気がついたら全員とつながりができて、みんなにかわいがってもらった感じです。真矢さん、イノランさんに、2人の地元・神奈川県秦野市の夏祭りに連れて行ってもらったこともありました」 女性ロックバンドSHOW-YAの提唱で始まった、女性ミュージシャンによるロックフェス『NAONのYAON』も大きな刺激になった。 「私が呼んでもらったのは、17年ぶりに復活した第6回からですが、『NAONのYAON』は、SHOW-YA寺田恵子さんが後世に残した、ものすごく意義のあるイベントだと思います」 ユニット「ANNA」を組んだ中村あゆみと出会ったのも『NAONのYAON』だ。 「聴く人にとってもアーティストにとっても心地よい場所で、私も含めて私たちの世代が、これを受け継いでいかなきゃいけないと思っています」 そしてもうひとり。相川の30年を語るときに忘れてはいけないのが、スラッシュメタル“BIG4”のひとつ、メガデスの元ギタリスト、マーティ・フリードマンの存在だ。 「初めて会ったときに『一緒にライブツアーをしたいね』と言ってくれたんですけど、なんたってメガデスのギタリストですからね。そんな夢のようなことがあるはずはないと思ったんですけど、それが本当になって。いちばん長く私の横に立っていてくれたギタリストがマーティです」 夢中で走り続けた20代。3人の子供を育てながら新たな喜びを感じた30代。大学のキャンパスで研究者としての道を見いだした40代。50歳を目前にしていま思うのは……。 「何周かして原点に戻って来た感じです。研究者としての時間も必要ですが、ファーストプライオリティは音楽。集大成のアルバムも出したいし、ライブツアー『相川七瀬 ROCK KINGDOM TOUR 2025』には、織田さんとマーティも参加してくれるので目いっぱい突っ走ります」 写真・福田ヨシツグ 取材&文・工藤 晋 あいかわななせ 1975年2月16日生まれ 大阪府出身 1995年シングル『夢見る少女じゃいられない』でデビュー。翌年発売したアルバム『Red』は280万枚の売り上げを記録。2020年、國學院大学神道文化学部に入学。卒業後、同大学の大学院に進む。11月6日の『SPARKLE』をリリースと同時に、デビュー30周年イヤーの幕開けを告げた
週刊FLASH 2025年1月7日・14日合併号