長嶋茂雄さんとの「ツーショット写真騒動」では、さすがの渡辺恒雄さんも落胆していた
【赤ペン! 赤坂英一】98歳で他界した渡辺恒雄さんが巨人オーナーだった時代に、誰も触れたがらない“黒歴史”がある。2002年7月、シーズン途中でビジター用ユニホームの胸ロゴが「TOKYO」から「YOMIURI」に変更。ファンから猛批判を受けたのだ。 【写真】56年前…長嶋茂雄と子どもの頃の一茂 この件を新聞記者から質問された渡辺オーナーは「なんで企業名を出したらいかんのだ!」と声を荒らげて激怒。余計にファンの反発を買った。 渡辺オーナーは「プロスポーツの発展には企業努力が不可欠」が持論。サッカー・Jリーグの発足当初も、チーム名に企業名をつけない川淵チェアマンの方針にあらがい、読売系メディアに「読売ヴェルディ川崎」「パナソニックガンバ大阪」などと企業名付きで報道させる方針を徹底していた。だからYOMIURIユニも渡辺オーナー発案に違いないと思い込んだファンが多かったのだ。 ところが、実情は異なる。これは02年、読売グループの組織改編により、巨人の運営法人が「株式会社よみうり」から「株式会社読売巨人軍」に変更。巨人は全国区だとして、球団名からも「東京」が削除されたことに伴う措置だった。 当時の事情を知る関係者によると「ビジター用ユニの胸ロゴも読売に変えてはどうか」と球団幹部が発案。これを渡辺オーナーはただ了承しただけだったそうである。結局、読売ユニは不評のうちに04年で終了。東京ユニは実に13年の歳月を経て、15年から復活している。 生前はコワモテで鳴らした渡辺さんも人間。自分に張りついた悪役イメージはいたく気にしていた。 04年に脳梗塞を起こした長嶋茂雄さんが、渡辺さんに回復具合を報告するため、読売新聞本社を訪れた時のこと。この席で撮影されたツーショット写真が発表された。長嶋さんの姿が脳梗塞後に公にされたのは初めてで、大きな反響を呼んだ。しかし、この時も渡辺さんは一部のファンやマスコミからあらぬ批判を受けている。「自分や読売のイメージアップに長嶋さんを利用するとはけしからん」というのだ。 先の関係者によると「実は、あの写真は長嶋さんたっての希望で撮影されたもの」だという。それほど長嶋さんは渡辺さんを慕っていたわけだが、一般のファンはそこまで分からない。 さすがの渡辺さんも、この件では少々落胆していたとも聞いた。当時SNSがあったら、いったい渡辺さんはどんな罵声や誹謗中傷を浴びせられていたことか。改めてご冥福をお祈りします。
赤坂英一