交流を生み命吹き込む 谷口吉生さん死去、街並みに溶け込む谷口建築
●富山新聞高岡会館「新しい世界開く」 「建築とは人、モノ、情報の器である」。16日死去した世界的な建築家の谷口吉生さんは生前によく、こう語っていた。建物は完成して終わりではなく、利用する人々らの交流によって新たな命が吹き込まれる。北國新聞社が建設した富山新聞高岡会館のオープンに際し「楽しい出会い、新しい世界が開ける建物になればうれしい」と、市民らでにぎわう館の将来を思い描きながら見せた笑顔が今も印象に残る。(北國新聞社論説委員・田中英男) 高岡会館の開館式典で谷口さんにインタビューしたのは、2022年9月だった。巨匠と呼ぶにふさわしい、かくしゃくとした姿で、勉強不足の下手な質問をすれば、すぐにはねつけられそうな視線の鋭さに圧倒されたのを覚えている。 しかし、取材中は終始、柔和な表情で、高岡の伝統的な街並みの「千本格子」をイメージさせるデザインなどを挙げながら「建築はあくまで控えめなものだが、ここ高岡でしか存在しえない建築を追い求めた」と穏やかに語ってくれた。 「建築も絵も創造するもの。だが建築は始める前から既に何かが描かれている。そこにある歴史や自然、地形をいかに取り込むかが考えどころ」などと創作の熱意をみなぎらせる姿は実直そのものだった。インタビューは時間の制約で10分足らず。「今度ゆっくり話しましょう」と気遣ってくれたが、ついに実現しなかったことが悔やまれる。 ●伝統と現代を共存 谷口さんの建築は、装飾を排したシンプルな造形美でありながら、古い木造建築が並ぶ金沢や高岡の街の雰囲気に不思議と溶け込むのが特徴と言える。金沢市の鈴木大拙館や高岡会館の水庭のように、直線的で精緻なデザインのなかにも和の要素を巧みに取り入れ、伝統と現代を共存させている。 それは父吉郎氏の影響も多分にあるのだろう。吉郎氏が金沢市に提言した歴史的な建造物の保存と開発が調和したまちづくりは、今も市の指針であろう。その遺志を受け継ぐかのように吉生さんが設計した谷口吉郎・吉生記念金沢建築館が、重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)の街並みと調和して立ち、金沢の建築文化を国内外に発信している。親子2代の功績に感謝を込め、再び各地の「谷口建築」を訪ねてみたい。 ■県内から悼む声「金沢が恩返しを」「禅の思想を形に」 谷口吉郎・吉生記念金沢建築館の水野一郎館長は、「親子で金沢との関係を大事にしていただいた。よく『お世話になった金沢に恩返しを』とおっしゃっていたが、私からみれば、金沢が恩返しをしなければいけない」と語った。 さまざまな時代の建築が保存される金沢にあって、「時代ごとの価値観、美意識を重層的に持つ金沢を目指すように、と言われている気がする」としのんだ。 建築館で22日から始まる、県立図書館と金沢美大をテーマにした企画展は谷口さんからの提案だったという。水野館長は「広く市民に理解できる建築展を望んでいた谷口さんの思いを継承していきたい」とした。 鈴木大拙館の木村宣彰館長は谷口さんの訃報に「信じられない」と言葉を詰まらせた。 大拙館の建築は大拙が目指した東洋の文化、禅の思想など目に見えないものを形にしている。木村館長は、谷口さんが「大拙館の設計が一番難しかった」と話していたと振り返り、「建築として見事に実現し、示してくださった。感謝の念に堪えない」と話した。