「文化と信仰守り心の平穏を」 栃木県内のモンゴル人が高僧招く
チベット仏教のモンゴル人高僧で米国在住のアジャ・ロサン・トゥプテン師(73)が、在日モンゴル人信徒の招きで来日し、各地を訪れている。栃木県内でも鹿沼市で法話会が開かれ、モンゴル人の家族連れなど約40人が聴き入った。今後、東京都内でも一般向け法話会が予定されている。 【写真で見る】社会に衝撃を与えた事件 アジャ・リンポチェ8世の称号で知られ、来日は2018年以来6年ぶり。県内での法話会は、鹿沼市上石川で「ラーメンMOUKOKU」を経営するムンクさん(43)が主宰した。 臨時休業にした店内にモンゴル人の好む青色のカター(祝福を表す布)をささげ、小上がりに法座をしつらえた。アジャ師は、米国に亡命した自らの経験も踏まえ、故郷を離れて言語も文化も異なる場所で暮らす人々の苦労や努力をいたわり「自らの心のよりどころとなる文化や信仰を大切に守り、受け継いで」と語りかけた。 「海外での現代社会生活は、孤独感やトラブル、仕事のストレスなどで心のバランスを崩しがちだが、幸せや不幸せは自らの内側から生じるもので、信仰心が軸にあれば心は自らコントロールすることができる。病気の時は医師を頼り、そうでない場合は揺るぎない軸を大切に」。アジャ師は、仏教徒が心の平穏をはかる真言や瞑想(めいそう)の実践をモンゴル語で伝えた。 ◇8代目の化身 アジャ師は1950年、中国青海省生まれ。2歳の時、西寧市郊外にあるチベット仏教ゲルク派6大寺院の一つクンブム僧院(塔爾寺)座主のアジャ・リンポチェ8代目の化身と認定された。チベット動乱(59年)後もクンブム僧院にとどまり、文化大革命(66~76年)では還俗(げんぞく)を強制され思想教育や強制労働を課される辛酸を味わった後、80年代以降は中国共産党組織の要職に就くなど当局とバランスを取りながら、破壊された僧院の再建や民族文化の復興に尽くしたが、98年に米国に亡命した。 後に、チベット仏教でダライ・ラマに次ぐ地位の指導者で89年に死去したパンチェン・ラマの化身認定(95年)を巡る宗教介入や圧力があったことを明らかにした。亡命後は米カリフォルニア州のTCCW(Tibetan Center for Compassion and Wisdom=慈悲と智慧のチベットセンター)を拠点に活動している。 ◇会は貴重な時間 来日20年のムンクさんは、北海道で日本語を学び、東京などで働き、これまでのアジャ師来日もサポートした。飲食店経営を志し、15年に鹿沼で独立。店舗敷地内にゲル(モンゴル遊牧民の移動式住居)を建て、近隣のモンゴル人家族が集まって子どもたちに言葉や文字を教えることもあった。新型コロナの影響で集まる機会を失い、心も離れたように感じることもあったという。地元での法話会は「店にお招きできたら名誉なこと。栃木のモンゴル人コミュニティーにとっても貴重な時間になる」と企画した。 宇都宮市から参加した内モンゴル自治区出身の40代女性は「集まった皆が直面している現実に寄り添った話をしていただけた」と感激していた。県内のモンゴル国籍住民は248人(23年12月末現在)だが、女性は「モンゴル文化圏は広く、中国の内モンゴル自治区、青海省やロシアのカルムイク、ブリヤートも含め、国籍で数えられない同胞はもっと多いのです」と話す。東京都足立区から訪れたモンゴル出身の夫妻は「直接、言葉を交わし人生のアドバイスをいただいた」と喜んだ。 ◇明治天皇とも対面 アジャ・リンポチェと日本の縁は古く、6世は明治時代、東本願寺派僧侶の招きで来日し、明治天皇と対面した記録もある。アジャ師は、東日本大震災から間もない11年6月には被災地を訪れ犠牲者を悼んだ。17年には自叙伝が日本語訳され「アジャ・リンポチェ回想録 モンゴル人チベット仏教指導者による中国支配下四十八年の記録」(集広舎)として出版された。 アジャ師の一般向け法話会は、5月6日に東京都文京区の護国寺でも開催される。TCCW日本事務所主催。5月4日には築地本願寺(東京都中央区)で「なぜチベット仏教は国際社会で必要とされているのか」と題した講演(日本語通訳あり)もある(チベット・フェスティバル2024内、参加費1500円、要事前予約)。【藤田祐子】