【フィリピン・ペソにも負けたトホホな日本円…】日本経済凋落を象徴、フィリピンのマルコス大統領は何を目指しているのか?
マルコスにはドゥテルテ的カリスマ性はないが温厚な人柄が魅力?
4月9日。パラワン諸島のプエルト・プリンセサのホステルで国連職員のマニラ近郊出身のフィリピン女子Nと懇談。国際派知識人のNはフィリピン政治を俯瞰して解説した。 ドゥテルテ政権下では最初の半年で6000人超の麻薬密売人が殺害され一説には累計3万人を殺害。しかし警察組織を改革して治安を飛躍的に改善した功績は歴史に残る。欧米諸国がなんと批判しようとフィリピン庶民がドゥテルテを支持しているのは殺人・強盗が日常茶飯事だったフィリピン社会を大変革した英雄だからと力説。余り海外では知られていないがドゥテルテは剛腕により健康保険の国民皆保険制度を実現した実績もあると補足した。 ドゥテルテ強権政治を批判した女性ジャーナリストのマリア・レッサはノーベル平和賞を受賞したが、フィリピン国内ではマリア・レッサを知る人はほとんどいないという。庶民は犯罪者の人権よりも安全な社会を望んでおり、マリア・レッサの活動には関心がないという。 マルコス大統領はシンガポールでF1レース観戦したりする浪費家、玉ねぎやコメの物価を知らない庶民感覚欠如などと批判されるが、夫人の誕生日にラブソングを歌い、各種のイベントに気軽に顔を出すなど大衆に愛される人柄。穏健な政治姿勢と温厚な人柄が安定した支持率をもたらしていると彼女は分析。ボンボン(人の好いイケメン)・マルコスというニックネームが人柄を表わしているという。 対照的なのは大統領選のライバル候補だった女性経済学者のレニー・ロブロド。彼女は選挙で知的論理的演説をしたが、残念ながら大衆は彼女の言葉を理解できなかったとのこと。
マルコス・ジュニアによる父親の名誉回復と歴史修正の試み
マルコス・ジュニアは汚職にまみれた独裁者として民衆運動(1986年のピープルパワー革命)により失脚した父親のマルコス・シニアの名誉回復を目指しているとリベラル勢力から批判されている。Nによるとドゥテルテ大統領は自分の父親がマルコス・シニア政権時代に閣僚を勤めたこともありマルコス家とは親しかったのでマルコス・シニアの遺体をマニラの英雄墓地に埋葬することを許可した。 マルコス・ジュニア政権では2024年度のピープルパワー革命記念日(=エドサ革命記念日)を祝日から除外する決定をした。またエドサ革命の起点となったエドサ通りの改名を画策する動きもあるようだ。さらにマルコス・ジュニアはシニア政権時代の戒厳令について「共産主義武装勢力(NPA)やイスラム教徒反政府ゲリラとの戦いのため戒厳令が必要だった」と発言しており、歴史教科書の記述も一部修正された。